酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

7023 正岡子規の文学碑(横須賀市汐入町1-1・ヴェルニー公園)

明治二十一年 ( 1888 ) 八月、正岡子規は夏季休暇を利用して、友人とともに汽船で浦賀に着き、横須賀・鎌倉に遊んだ。


碑の句は、横須賀港に連なる帆檣 ( ほばしら ) の印象を詠んだもので、句集『寒山落木』に収録されています。


正岡子規は、慶応三年 ( 1867 ) 九月十七日、に伊予国温泉郡 ( 現・愛媛県松山市 ) で生まれ、本名は常規 ( つねのり ) といった。


松山中学校時代は政治家志望でしたが、上京後は文学に転じ、文科大学国文科 ( 現・東京大学 ) に進んだ。


子規は、写実 ( 写生 ) を主張して、空想を排する俳句の革新を行った。


その考えを新聞「日本」紙上に、『獺祭書屋 ( だっさいしょおく ) 俳話』( 明治二十五年 )、『俳諧大要』( 同二十八年 ) として表した。


また、句作は生涯に万句を二万句を数え、特に明治二十五年 ( 1892 ) から同三十一年 ( 1898 ) までは毎年千句以上を創作した。


同三十年 ( 1897 ) には「ホトトギス」が創刊され、以来子規派の雑誌として注目された。


一方、同年には、『歌よみに与ふる書』を「日本」に掲載し、短歌の革新にも着手した。


これは、俳句で主張した写生を短歌の上にも及ぼしたものであった。
 
子規は、同三十五年 ( 1902 ) 九月十九日、三十五歳の若さで亡くなったが、彼の主張は、俳句では、高浜虚子、河東碧梧桐らが継承し、短歌では、斉藤茂吉、島木赤彦らの「アララギ」派に受け継がれていった。


また、彼の提唱した写生文は、夏目漱石、伊藤左千夫ら後続の文学者に影響を与えた。
(案内板より)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/424.html

410 正岡子規墓(北区田端4-18-4・大龍寺)