酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

7021 浦賀港周辺の眺望(横須賀市東浦賀一丁目・乗誓寺)

浦賀は自然の良港と海に包まれた、温暖な土地で乗誓寺は、浦賀最古の寺の為、北面を山で囲まれ東西南と開けて日差しに包まれる恵まれた寺域を有している。


前方港の対岸 ( 西浦賀 ) は、勝海舟が咸臨丸で、アメリカへ出航した地である。


東寺の山林、中腹や頂上で武士を始め文化人が集った場所で、酒肴を交わし歓談した。


港を渡る交通手段として東西を結びミニクルーズとして観光客に喜ばれている。( 渡船舟 )


また西浦賀の北端に古い灯台が、近くに奉行所があった。 ( 現在かもめ団地 )


大正、昭和時代に東浦賀先端大室 ( おおむろ ) 海岸には密かに東京方面の上流家族が夏の避暑地として訪れ、当寺の離れに滞在して楽しんだ。


近代には、浦賀造船所を設立 ( 後に住友重機 ) 毎年20万トン級のタンカーが進水し賑わう町となった。


● 一向一揆と銀杏の木
前方に立つ銀杏樹は、本願寺、第八代蓮如上人が当寺に来られて「お手植えされた木である」宿町時代、本願寺を諸国の大名との間で一向一揆の争いが起こり、当寺の第一代の空浄が争いに深く拘わっていたため、蓮如上人がこられた。


この銀杏の樹の頂上に、夏の深夜になると、ホッホホーと ( フクロウ ) の声が聞かれ心が洗われる。( 樹齢 500数十年 )


● 浦賀と乗誓寺
浦賀は鎌倉宿町時代を経て、江戸時代に入ると各地から自然の良港を活かして商いを活発にし、特に紀州を中心とした商人が浦賀に移住してから豪商の栄える町となり西本願寺の信者の為、乗誓寺の門徒となった。


さらに各地から武士や文化人が浦賀を訪れた。


勝海舟、大隈重信、中島三郎助、後藤新平、三島伯爵、小林一茶多数の人々が当寺を訪れている。


浦賀で最も有名な幕末の黒船ペリー来航には、世相が不穏になりその異様な光景に驚き、震え、戦き、町民は山中に逃げ隠れた。


この不安を静めるために乗誓寺にて安隠法要が巌修され、その時に安置された掛軸は、仏説阿弥陀経で、朱色の絹地に金字の経文が書かれている貴重なもので当寺に現存する。


乗誓寺は浦賀最古の寺として、諸国の有名人の交流の場 ( サロン ) となり賑わいのある寺であった。


また、古くから寺子屋を開き、郷学校を開校して人材育成に貢献した寺として有名である。
(案内板より)