酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

7003 平塚入道・了源像(横須賀市東浦賀一丁目・乗誓寺)

鎌倉時代、平塚入道了源は、曽我兄弟、十郎の子で、浄土真宗の開祖親鸞聖人が新潟、茨城をへて、関東教化に赴き、相模国平塚で、了源は聖人の教えを聞き深く感動して僧侶となった。


そして、平塚入道了源と名乗った。


了源は平塚に阿弥陀寺を創建 ( 安貞元年・1227年 ) 初代となり、関東六老僧の一人となった。


その後、宿町時代に諸国で一向一揆が起こり、十代目住職が一揆に深く拘わっていたため、浦賀に逃れ乗誓寺、第一代 ( 文明元年・1469年 ) となった。


関東に滞在していた親鸞聖人は平塚より京都に帰京し晩年教行信証を、はじめ多くの著作を残し老齢を迎えた時に平塚入道了源の逝去を聞き悲嘆したとの記録がある。


この了源像は、父 ( 十郎 ) 、母 ( 虎御前 ) 、弟 ( 五郎 ) を供養する為に建立されたものである。
(案内板より)