酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

7002 曽我兄弟仇討八百年記念銅像再建(横須賀市東浦賀一丁目・乗誓寺)

安政二年 ( 1176年 10月 ) 工藤祐経が、伊東祐親に対し、所領争いの恨みから、伊豆、伊東南方の山麓で待ち伏せし、弓矢を射った。


その矢は、河津三郎 ( 伊東祐泰 ) に当たり、兄弟の父は亡くなった。


その後、母は、相模国曽我の庄 ( 小田原市 ) の曽我祐信と再婚し、幼い兄弟は、曽我の庄で成長し、元服して、兄は曽我十郎祐成、弟は曽我五郎時致と名のった。


そして建久四年 ( 1193年 28日 ) に源頼朝により、富士野で巻狩りが催されることとなり、この報を知った兄十郎 ( 22才 ) 、弟五郎 ( 20才 ) は、父の敵討ちの好機とし、豪雨の闇夜を利とし、工藤祐経を襲い、父の仇討ちの本懐を遂げた。


この仇討ちは「曽我物語」として有名である。


尚、乗誓寺の代々の住職は世襲制により脈々と継承され、曽我十郎の子孫である。


● 銅像について


この銅像の場面は、曽我兄弟、兄、十郎 ( 左 ) と弟、五郎 ( 右 ) が父の仇討ちのために「いざ行かん」と富士の裾野の岩山から遥か彼方を見つめ、決意を込めている姿である。


また、この火山岩の石組みは、大正、昭和初期時代に京都の作庭家として有名な田中泰阿弥によって作られたものである。


この石組みの寄進者は、江戸時代紀州から浦賀に移住した名のある豪商、宮井一族により建立されたもので、江戸、明治時代の浦賀の豪商の羽振りが感じられる。



乗誓寺は、宿町時代の一向一揆に深く拘わりがあり、紀州から移住した豪商も本願寺の有力な門信徒として戦った人々である。


当寺の墓地内には、宮井家一族のほか多くの豪商の家々の墓所があり、江戸と共に、浦賀の繁盛さを物語るものである。


尚、左側に立つ聖観音菩薩像は、豪商を供養する為に関東大震災後に、宮井家により建立された石仏像である。
(案内板より)


関連情報
https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/8063.html

7015 乗誓寺曽我家墓所(横須賀市東浦賀一丁目・乗誓寺)