酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

7001 顕正寺(神奈川県横須賀市東浦賀二丁目・顕正寺)

天正元年(1573)に僧・顕正坊日実大徳が顕正庵を結んだことによって開かれたといわれます。


この寺の墓地には、横須賀が舞台となった小説『血族』の作者、直木賞作家の山口瞳(山口家)の墓があります。


本堂脇の一段高い墓地には、浦賀の代表的歌人である西野前知の墓があります。前知は、幕末に浦賀の回船問屋年寄役として奉行所と回船問屋の間で活躍した人です。この功績から、明治維新後に新政府の浦賀役所の書記役として採用されました。前知が書き残した書類は、現在、浦賀奉行所のことを知る重要な資料となっています。


また、江戸時代中期の陽明学者である中根東里の墓もあります。東里は、伊豆下田の生まれで、若くして僧侶になりますが還俗(僧をやめる)し、当時の一流学者である荻生徂徠や室鳩巣に師事します。しかし、あきたらず、独学で陽明学を学び、栃木県の佐野で塾を開いていました。年をとるにつれ、母が晩年を過ごし、唯一の身寄りである姉(浦賀奉行所与力の妻)がいる浦賀の地を故郷のように思い、ここで70余年の生涯を閉じました。


本堂の裏手には、元浦賀奉行所同心である春山弁蔵や、元浦賀奉行所与力の岡田井蔵の墓もあります。春山弁蔵は、幕末に石川島で造られた幕府軍艦千代田形の船体構造を設計しました。後に榎本武揚とともに、咸臨丸副長の職で函館へ向かいましたが、台風に遭い、修理のため清水港へ向かう途中、官軍軍艦の砲撃により、無念の最後を遂げました。岡田井蔵は、長崎海軍伝習所で機関学を学び、咸臨丸への乗り組みを命じられ、明治維新後は、横須賀造船所の海軍一等師として、海軍造船界に大いに貢献しました。