酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6843 吉井幸蔵墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

吉井 幸蔵(よしい こうぞう、1856年1月2日(安政2年11月25日) - 1927年10月7日)は、日本の海軍軍人、政治家。伯爵。海軍少佐、貴族院議員。水難救済会会長。


経歴
薩摩藩士・吉井友実の長男として生まれる。1869年、イギリスへ私費留学。1872年に海軍生徒となり、アメリカ、ドイツ、イギリスへ留学。1877年2月に帰国。1881年11月に海軍兵学校(8期)を卒業し、1883年11月、海軍少尉任官。「比叡」分隊長、軍事部、参謀本部海軍部第3局員などを経て、1886年7月から翌年6月まで海軍大臣・西郷従道に随行してヨーロッパ各国へ出張する。


その後、海軍参謀部副官、参謀本部出仕、欧州出張(有栖川宮威仁親王随行)、海軍参謀部第3課員、「扶桑」分隊長、参謀本部出仕、参謀本部第3課員、「摩耶」「千代田」「磐城」の各分隊長などを歴任した。日清戦争では「秋津洲」分隊長として出征し、1894年12月に海軍少佐に進級し「武蔵」副長となった。1895年に侍従武官となり、同年12月に待命。1897年4月、予備役に編入された。同年5月、大日本帝国水難救済会第2代会長となり、以後死去するまでボランティアによる海難救助を目的とする同会の組織育成に尽くした。1905年11月1日に退役[1]。


また、1922年5月、帝国農会に倣って組織された官製系統団体帝国水産会の初代会長となり、1927年までその地位にあった[2]。


1891年5月、父の死去に伴い伯爵を襲爵。1897年4月から1925年7月まで貴族院議員を務めた。


家族親族
・嗣子 吉井勇(歌人)
・弟 高島友武(陸軍中将)
・妹 大山沢(大山巌の妻)


著作等
・「再び我が救済会の事業に就て」会長伯爵吉井幸蔵、帝国水難救済会機関誌『海』20、1906年10月25日
・「我水難救済事業発展の方針--慈善と徽章に就て」会長伯爵吉井幸蔵、帝国水難救済会機関誌『海』8年4号、1907年4月25日


脚注
1. 『官報』第6711号、明治38年11月10日。
2. 『大日本水産会百年史 前編』社団法人大日本水産会、1982年、133頁。


参考文献
・『帝国水難救済会五十年史』帝国水難救済会、1939年。
・『日本水難救済会100年史』日本水難救済会、1990年。
・秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。


外部リンク
・国立国会図書館 憲政資料室 吉井友実関係文書 - 海軍少佐吉井幸蔵関係文書(主に来簡)を含む
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1269.html
1173 吉井勇歌碑(広島県尾道市・千光寺公園)


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1532 吉井 勇墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1662.html
1533 吉井友実墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7878.html

6842 吉井幸輔墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)