酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6797 興津一族浄蓮房供養塔(静岡市清水区興津本町223・耀海寺)

● 興津一族浄蓮房供養塔
この五輪塔は、鎌倉時代の『沙弥浄蓮』即ち『浄蓮房』の供養塔です。


『浄蓮房』とは、興津一族の興津左衛門入道のことです。


興津氏は、藤原摂関家南家の末裔です。


耀海寺の檀徒興津家の御先祖様です。


興津氏は、興津川流域一帯を治める地頭で、耀海寺裏の興津本町沢端川中流の字古御舘に、舘を構えていました。


観応の擾乱 ( 1350 ~ 52年 ) により、興津美作守が南条氏に代り富士上方 ( 現富士宮市上条近辺 ) の地頭を兼任するに及び、領地拡大に伴い美作守は延文年間 ( 1356 ~ 61年 ) に興津城 ( 横山城 ) を築城して居を移し、初代城主となりました。


その後大永年間 ( 1521 ~ 28年 ) には、興津城には興津彦九郎宗鉄が、古御舘には興津左衛門が住んだことが「宗長日記」に見えます。


平成 25年 11月 6日    供養塔建立之砌
谷津町 郷土史家 九十一翁 佐野敏郎 誌


● 浄蓮房について
日蓮大聖人五十四歳の御時、建治元年 ( 1275 ) 6月 27日見延山よりするが興津に住む浄蓮房宛の御手紙を、「浄蓮房御書」と申します。


この御書には、日蓮大聖人の深遠な御教が網羅され、日蓮門下では古来より尊重されているものです。
「昭和定本遺文第二巻に掲載」


水戸の彰考館文庫所蔵の「水府系纂」に所収の「興津家文書」があります。


佐野敏郎氏整理の「文書番号二」文永十年癸酉 ( 1273 ) 2月 22日付け文書に、『沙弥浄蓮』の名が見えます。


日蓮大聖人は、「浄蓮房御書」の中で、『浄蓮上人』と呼んでいます。


上人と尊号を付け呼称されていることは、『沙弥浄蓮』は日蓮大聖人の御弟子・直檀越です。


『浄蓮』の法名は、日蓮大聖人より賜りました。


剃髪し入道となった興津左衛門入道がその人です。


耀海寺の檀徒興津家の御先祖様です。


興津氏の舘の地・字古御舘の一部は、今も耀海寺が所有し継承しています。


耀海寺は、興津の町・興津氏と共に重ねてきた古刹です。


◎ 六老僧 白蓮阿闍梨日興上人と興津氏
・日興上人古写本の「浄蓮房御書」が現存。北山本門寺蔵。
・弘安二年 ( 1279 ) 興津時業、日興上人書写の法華経一部を受く。
・同年 興津左衛門三郎藤原時貫が、法華経を書写。後に富士宮の寺に納む。
平成 25年 11月 6日    當山御会式砌
教敬山耀海寺 三十四世 境壽院日山 誌
(案内板より)