酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6465 長谷川雪堤墓(世田谷区北烏山5-8-1・幸龍寺)

長谷川 雪堤(はせがわ せってい、文化10年(1813年)1月 - 明治15年(1882年)3月15日)は江戸時代末期(幕末)から明治時代の絵師。長谷川雪旦の長男。姓は後藤、名は宗一。号に松斎、梅紅、巌松斎、雪汀。


略歴
江戸出身。文政2年(1819年)生まれとも言われるが誤りと考えられる。早くから父に学び、粉本類には親子で模写したものが多く見られる。父譲りの技量を発揮し、名所絵や人物画を多く残した。中でも、相模国藤沢渡内村の名主が、林家や幕府の地誌編集事業と密接な関係を持ちながらまとめた地誌『相中留恩記略』は、父親の『江戸名所図会』の挿絵と同様、名所画家としての雪堤の名を高めた。


父雪旦の死後はやや精彩を欠くなか、明治15年(1882年)70歳で亡くなる。墓所は父と同じ浅草の幸龍寺(関東大震災後に世田谷区北烏山に移転)。弟子に唐津藩御用絵師となり、明治以降も唐津で活躍した長谷川雪塘がいる。また、娘の長谷川雪真(本名・志奈子)も絵師だが、画歴は詳しくわからない。


代表作
・高崎屋絵図 (文京ふるさと歴史館) 1幅 絹本著色 天保12年(1841年) 文京区指定文化財 雪旦との合作
・長福寺格天井丸絵 (東京都・長福寺) 板絵4面 天保13年(1842年)秋 町田市指定文化財
・調布玉川惣画図 (多摩市教育委員会) 1巻 多摩市指定文化財
・中原御宮記 (神奈川・平塚市博物館) 1巻 平塚市指定文化財
・加藤清正出陣図 (東京・幸龍寺) 額絵1面


参考資料
・展覧会図録 『江戸の絵師 雪旦・雪堤 ─その知られざる世界─』 江戸東京博物館、1997年 ISBN 4-924965-06-5
(wikiより)