酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6450 福原乙之進(大江信冬)墓(世田谷区若林4-35-1・松陰神社)

福原乙之進 / 大江信冬
福原 信冬(ふくばら のぶふゆ、天保8年9月26日(1837年10月25日) - 文久3年11月25日(1864年1月4日))は、幕末の長州藩士、志士。一般的には福原乙之進の名で知られる。別名に大江信冬、変名に長原美禰介。


生涯
過激な攘夷論者で、文久2年(1862年)に、久坂玄瑞、中谷正亮とともに長州藩を脱藩。航海遠略策を唱え、藩内で勢威を増していた長井雅楽の暗殺をたくらむが、未遂に終わった。同年には、高杉晋作らとともに御楯組を組織して、英国公使館焼き討ち事件に加わる。


江戸で討幕を画策するも、赤坂の刈谷藩邸内の倉田珪太郎宅で一橋家家臣・脇坂又三郎、刈谷藩士遠藤木工、浜田篤蔵、村上其太郎らと密議中に、古河藩主・土井利則の捕吏の襲撃を受け、戦うも負傷して自害した。


墓所は東京都世田谷区の松陰神社、山口県美祢市美東町常福寺。


明治維新の後にその功績が評価され、従四位下に叙任された。


逸話
・大佛次郎著作の「鞍馬天狗」主人公、倉田天膳のモデルの一人とされる。


関連項目
・福原氏
(wikiより)