酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6415 尾崎迷堂句碑(鎌倉市二階堂74・荏柄天神社)

尾崎迷堂句碑


   荏柄天満天神献詠

裏面 鎌倉右大臣 実朝の忌なりけり
   大慈咲き大悲さきたるさくらかな



尾崎迷堂 ( 明治二四 - 昭和四五 一八九一 - 一九七○ )


僧侶で本名を光三郎、法名を暢光という。


山口市に生まれ、僧の修業をした後、寺の住職を勤めるかたわら、俳句の道に精進した。


特に、鎌倉二階堂の杉本寺住職と、大磯の慶覚院住職の時代がよく知られている。


俳句は、高浜虚子が選者を担当した「国民新聞」の投句から始まり、大正四年 ( 一九一五 ) に松根東洋城が創刊した「渋柿」の同人となり、その後「あら野」を経て、昭和一一年 ( 一九三六 ) に「えがら」を創刊して活動し、最後は「ぬなは」を拠点として活躍した。


その作風は、高雅繊細で、しかも気魂を持っていたといわれる。


迷堂は、大正一四年から昭和一七年まで、杉本寺の住職として土地の人々と俳句を通して交流を深め、昭和四五年三月に住職をしていた大磯の高麗山慶覚院で亡くなった。


句集には「孤輪」( 昭和一六年 )、「雨滴」( 同二六年 )、「芙渠 ( ふきよ )」( 同四一年 ) などがある。


「雨滴」の中から、鎌倉に関する句を抄出する。
歳旦  初鶏や谷合奥の十二所


春   英勝寺一句
     尼寺のチューリップなど長閑かな


春   荏柄天神社一句
     古ルの絵は磴すぐ下の春田かな


春   八幡宮実朝忌句会一句
     実朝忌ここもと山の松寒し


平成三年三月


鎌倉市教育委員会
鎌倉文学館
(案内板より)


 尾崎迷堂