酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6308 小林良典墓(荒川区南千住5・回向院)

小林 良典 ( こばやし - よしすけ、文化 5年 3月 28日 ( 1808年 4月 23日 ) - 安政 6年 11月 19日 ( 1859年 12月 12日 )) は、幕末の地下人。


小林元次の長男、母は小森頼望の娘・叙子。


鷹司家の諸大夫。正四位下民部権大輔と筑前守を兼ねた。


尊皇の志篤く、青蓮院宮尊融法親王や近衛忠熙、三条実万らと交流する一方で、日下部伊三治・橋本左内ら志士たちとも接点を持ち国事に奔走した。


将軍継嗣問題や水戸藩への密勅降下では主家・鷹司政通を説いて攘夷派の重鎮へと転換させた。


また一橋派に属して政通・輔煕父子を補佐する。


しかし安政 5年 ( 1858年 ) 安政の大獄に連座して江戸に捕えられる。


翌安政 6年 ( 1859年 ) 水戸・福井藩を密勅降下のために入京させたとして遠島刑となる。


後に肥後人吉藩預かりに減刑されるも、江戸に獄中で病没した。


墓所は東京都世田谷区の松蔭神社。そのほか、京都府京都市の京都霊山護国神社や長徳寺にも墓石が建つ。
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2311.html
2115 小林良典墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7408.html

6447 小林良典墓(世田谷区若林4-35-1・松陰神社)