酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6309 金売り吉次の墓(伝説)(栃木県下都賀郡壬生町上稲葉)

金売り吉次は、鎌倉時代の始めに源義経に仕えた金売り ( 砂金などの売買を商売とした者 ) です。


義経は平家を壇ノ浦に滅ぼした後、兄頼朝と不仲 ( ふなか ) になり、奥州平泉へ逃れました。


吉次は義経の伴 ( とも ) をし、この稲葉の地まで逃れてきましたが、病にたおれこの地で生涯を終えました。


里人たちにより、吉次の墓とともに吉次の守護仏である観音像を祀ったお堂 ( ここより約 20m 東に現存 ) が建てられたといわれています。


また、江戸時代の「奥の細道」で知られる松尾芭蕉に随行した曽良の日記に、


「壬生ヨリ楡木ヘニリミフヨリ半道ハカリ行テ吉次カ塚右ノ方 20間ハカリ畠中ニ有」と記されています。
(案内板より)


● 金売り吉次
金売吉次 ( かねうり - きちじ ) とは平安時代末期の商人。吉次信高、橘次末春とも称される。


『平治物語』『平家物語』『義経記』『源平盛衰記』などに登場する伝説的人物。


奥州で産出される金を京で商う事を生業としたとされ、源義経が奥州藤原氏を頼って奥州平泉に下るのを手助けしたとされる。


生涯
『平治物語』では「奥州の金商人吉次」、『平家物語』では「三条の橘次と云し金商人」、『源平盛衰記』では「五条の橘次末春と云金商人」、『義経記』では「三条の大福長者」で「吉次信高」としている。


『平治物語』によると、義経の郎党の堀景光の前身が、この金売吉次であるともいう。


またこの他に、炭焼から長者になったという炭焼藤太と同一人物であるという伝説もある。


吉次は都に上京し、鞍馬寺を参詣し源義経と出会う。


『平治物語』では、義経から奥州への案内を依頼されてる一方、『義経記』では吉次から話を持ちかけている。


吉次は義経と共に奥州へ向かう。


下総国で義経と行動を別にするが、陸奥国で再会する。


吉次の取り計らいにより、義経は藤原秀衡と面会する。


吉次は多くの引出物と砂金を賜り、また京へ上ったという。


実際に「吉次」なる人物が実在したかどうかは、史料的に吉次の存在を裏付ける事が不可能であるため、彼の存在は伝説の域を出ず、まったくもって不明である。


しかし当時の東北地方が金を産出し、それを京で取引していたのは明らかになっている。


吉次なる人物のように金を商っている奥州からやって来た商人がいた事は想像に難くない。


したがって現在では、こうした商人の群像の集合体が「金売吉次」なる人物像として成り立ったのではないかと考えられる事が多い。


行商の途中、強盗・藤沢太郎入道に襲われ殺害されたとされる。


その際、革籠を奪われたことに由来し、付近は革籠原と呼ばれた。福島県白河市白坂皮籠の八幡神社に金売吉次兄弟のものと伝えられる墓がある。


また、栃木県壬生町稲葉にも吉次の墓があり、こちらは義経が頼朝と不仲になり奥州へ逃亡する際に吉次が同行し、当地で病死したとされる。


関連項目
・平治物語
・平家物語
・義経記
・源平盛衰記
・長者ヶ原廃寺跡
・『炎立つ』(NHK大河ドラマ、1993 - 1994年)演:西村晃
・『義経』(NHK大河ドラマ、2005年)演:市川左團次
(wikiより)


 田んぼの真ん中に有ります。


 案内板です。


⇧⇩ 近くにこんなものが建っていました。


 中を覗いてみました。


 また後ろには、こんなものが建っています。