酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6310 中尾 彬墓(谷中6-2-6・長久院)

※ 此方の御墓は生前墓です。


中尾 彬 ( なかお - あきら、1942年 8月 11日[1] - ) は、日本の俳優・タレント。千葉県木更津市出身[1]。古舘プロジェクト所属。


前妻は茅島成美、現在の妻は池波志乃。義父は落語家 10代目・金原亭馬生、義祖父は 5代目・古今亭志ん生、義叔父は 3代目・古今亭志ん朝。『暴れん坊将軍』の初代・徳川宗春役で知られている。身長 175cm、血液型 O型。


来歴
酒屋を営む家に生まれる。


1958年に千葉県立木更津第一高等学校 ( 現・千葉県立木更津高等学校 ) へ入学する。


在学中の 1960年には油彩画の「石の花」が千葉県美術展に入選するなど絵の才能を発揮したのち、1961年に武蔵野美術大学油絵学科へ入学する[1]。


しかし何故か 1962年に日活ニューフェイス ( 第 5期 ) に合格[1]後、映画デビューするも、絵の道を捨てきれず翌年に大学を中退してフランスへ留学する[1]。


だが諸般の理由で留学期間を短縮し、1964年に帰国、演劇の道を再び目指す。


同年、劇団民藝に研究生として入団する。


同年、中平康監督・加賀まりこ主演の日活映画『月曜日のユカ』に助演し[1]、期待の新人俳優として注目を浴びる。


1970年に日活と民藝を離れてフリーとなってからは、各映画会社やテレビで活動を始める。横溝正史原作・高林陽一監督作品『本陣殺人事件』( 1975年、ATG ) では、主役・金田一耕助を演ずる。


前妻は女優の茅島成美で、1970年に結婚した。


一児 ( 俳優の中尾学 ) を儲けるも、女優・池波志乃と共演をきっかけに不倫関係となり 1975年に離婚、1978年に池波と再婚した。


その頃から再び絵を始め、同年に個展 ( 2回 ) を開催した。


創作活動はその後も継続して行われ、フランスのル・サロン展にて大賞 (「BUNRAKU・狂乱」、1981年 )、国際賞 (「COUNTRY・故郷」、1982年 ) を受賞後は、定期的に個展を開催することとなる。


2007年 3月 31日早朝、毎日放送の生番組『知っとこ!』レギュラー出演のために滞在していた大阪市内のホテルで、高熱を出す体調不良を訴えて救急車で病院に運ばれ、急性肺炎および横紋筋融解症と診断された。


ICUで絶対安静の状態であったが、4月 3日夕方に一般病棟へ移った。


5月に入り大阪市内の病院から都内の病院へ転院して 5月 15日に退院した。


その後、しばらくの自宅療養の後に 6月 30日放送の『知っとこ!』に生出演し、約 3カ月ぶりに芸能界復帰を果たした。復帰の第一声は「地獄からはい上がってきました」であった。


人物
俳優になりたいと考え長谷川一夫の門をたたいたところ、「高校を出たらまたここに来なさい」と言われた。


この時点では、単に時間の猶予を与えられたのだと思っていた。


しかし、現在では「高校の勉強は最低限勉強しておくべきものだからしっかり勉強しなさい」という意味を持っていたと考えるようになったという。


俳優・前田吟、峰岸徹、安岡力也とは駆け出しの頃から、共にしてきた仲で、江守徹とのコンビでのバラエティ番組の出演も多い。


本人は「同じ舞台に立っているのだから、( 本番中は後輩や年下のタレントが自分に対して ) どんな失礼なことがあっても気にならない」と語っている。


2007年には 2月に脳梗塞で江守が倒れ、同年 3月に中尾も急性肺炎と相次いで大病を患ってからは、かつては酒豪でヘビースモーカーだったものの、飲酒と煙草はやめている。


ネクタイが嫌いで ( 当然だが私生活及びバラエティ・トーク番組に出演するときだけで、ドラマ・映画・舞台でビジネスマンや教師・政治家などスーツ・ネクタイを着用する役を演じる場合には身につける )、マフラーのぐるぐる巻き ( いわゆる「彬巻き」。妻の池波志乃は「ねじねじ」と言う。) を好む。ぐるぐる巻きは、今や自他ともに認めるトレードマークである。


1990年代前半、海外ロケの移動中に飛行機の中でイライラしながらマフラーをよじっていると取れなくなり、そのままにしていたところ、「オシャレだな ( レストランのシェフみたいで )」と共演していた神田正輝から褒められたことがきっかけで有頂天になった。


今や「ねじねじ」コレクションは 300本、春夏秋冬、冠婚葬祭により使い分けていて、葬儀の際は黒のマフラーを着用するという域である。


趣味の 1つとして万年筆集めがあり、これまでに 50本、高い物は 1本 56万円もして、これまでに 500万円以上使っている。


また宝物として 2007年に病気を患って退院後に、島田紳助から退院祝いとして貰った、キャップのクリップ部分が「ねじねじ」になっている、ペン先に中尾の顔が描かれている万年筆を挙げ、お金に変えがたいものとして大切にしている。


絵画や陶芸が趣味。住まいは台東区池之端だが、沖縄にアトリエを構えている。


その関係からか琉球放送で毎週日曜日午後 7時から『中尾彬・沖縄時間』というラジオ番組を持っている。


ガリガリ君が好きで、『日本一おいしいスイーツ』と評している。また、ガリガリ君の一番おいしい食べ方は、買いに行ったコンビニから家に帰るまでに食べるのがいいという。相当数のガリガリ君を買っているために家に当たり棒が 3本あるが、自分で行くのは恥ずかしいので引き換えに行かず、お守り代わりに持っている。


この事をテレビで言った所、赤城乳業からガリガリ君が「ねじねじ」を巻いた特別なバージョンのパッケージのガリガリ君をプレゼントされた。好きなフレーバーはマンゴー味。またハッピーターンも大好物。


池波は中尾が自宅でゴロゴロしているのがいやだという。理由は「男が家でゴロゴロしていると、色気や男気がなくなる」のこと。


これは、池波の実父などが芸で身を立てた人物であることから来ている。中尾が家でゆっくりすることができたのは、2007年 2月に肺炎で入院して、その後の自宅療養を主治医から指示されたからとコメントしている。


世界のナベアツがブレイク期にやっていた「3の倍数と 3がつく数字の時だけアホになります」のネタがお気に入りだった時期があり、ところ構わず披露していた ( 池波談 )。池波は正直うんざりしていたとのこと。


『ダウンタウンDX』に何度か出演するなど、ダウンタウンと共演が多いため、世間的には本格的にバラエティ進出する切っ掛けを作ったのは彼らの影響だと思われがちだが、実は最初にレギュラー出演したバラエティはウッチャンナンチャンの冠番組『ゲッパチ!UN アワーありがとやんした!?』である。


当番組にて南原清隆が中尾を真似たキャラ「中王彬」に扮して、後に南原に内緒で中尾本人が登場するというドッキリ企画が、中尾にとって本格的にバラエティ進出する切っ掛けであった。


中尾鍋と呼ばれる白菜と豚バラを使用した鍋料理を考案し、テレビ番組で度々紹介されている。


詳しい事は「中尾 彬ウィキペディア」をご覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B0%BE%E5%BD%AC


 中尾 彬