酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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6295 山川健次郎墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

 山川健次郎の名前は刻されていないのですが、この墓に合葬されていると思います。

山川 健次郎(やまかわ けんじろう、1854年9月9日(安政元年閏7月17日) - 1931年(昭和6年)6月26日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の物理学者、教育者。男爵、理学博士。

東京帝国大学(東京大学の前身)理科大学長・総長、九州帝国大学(九州大学の前身)初代総長、私立明治専門学校(九州工業大学の前身)総裁、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、旧制武蔵高等学校(武蔵中学校・高等学校の前身)校長、貴族院議員、枢密顧問官を歴任した。

略伝
・嘉永7年(1854年) - 会津藩士・山川重固の三男として生まれた。

・万延元年(1860年) - 父の重固が没し、兄・大蔵(後の山川浩)が家督を継ぐ。

・明治元年(1868年) - 会津戦争。若松城開城後、猪苗代に謹慎の後、越後に脱走、長州藩士・奥平謙輔の書生となる。

・明治4年(1871年) - 斗南藩再興のあと、アメリカへの国費留学生に選抜され渡米。

・明治8年(1875年) - イェール大学で物理学の学位を取得し帰国。

・明治9年(1876年) - 東京開成学校(翌年、東京大学に改編)教授補になり、アメリカ人ピーター・ベーダー(ピーテェル・ベダル)の助手を務める。

・明治12年(1879年) - 日本人として初の物理学教授になる。

・明治21年(1888年) - 東京大学初の理学博士号を授与された。

・明治34年(1901年) - 48歳で東京帝国大学総長となる。東京学士会院会員に任命される。

・明治37年(1904年)8月22日 - 貴族院勅選議員[1](-大正12年(1923年)[2])。

・明治38年(1905年) - 日露戦争後に、政府を非難した教授が処分を受ける事件(戸水事件)が起こり東大総長を辞任。

・明治40年(1907年) - 安川財閥(安川敬一郎・松本健次郎親子)の資金拠出による明治専門学校(現九州工業大学)の設立に協力、初代総裁となる。

・明治44年(1911年)4月1日 - 九州帝国大学の初代総長となる[1]。

・大正2年(1913年)
 ・5月9日 - 再び東京帝国大学の総長となる[1]。
 ・6月21日 - 九州帝国大学名誉教授[1]。

・大正3年(1914年)8月19日 - 澤柳事件を承け、京都帝国大学の総長を兼任する(1915年6月15日まで)[1]。

・大正9年(1920年) 東京帝国大学の総長を退任。

・昭和6年(1931年) 1月16日、化膿性中耳炎のため東京大学病院に入院。治療中の1月23日に胃潰瘍を併発して吐血する。その後中耳炎は治癒したものの胃潰瘍は改善せずに衰弱し、6月半ばからは呼吸困難に陥り、6月26日に池袋の自邸で死去した。戒名は希不踰院殿慎誉平久大居士[3]。

人物
・少年期に白虎隊に入隊していたの時の経験を元に著した戊辰戦争を会津藩側の立場から見た『会津戊辰戦史』は死後の昭和7年(1932年)に出版された。この本は旧幕府軍側を「東軍」新政府軍側を「西軍」と書いた初めての本であり、これ以後現代まで会津藩側の立場に立った歴史書や歴史小説では、旧幕府軍を「東軍」新政府軍を「西軍」と書くことが多い。秩父宮妃勢津子の婚約のために奔走したのも健次郎であった。

・会津藩に対する忠誠心は壮年期以降は「愛国心」に転じ、日露戦争の時にはすでに東大総長であったにも関わらず陸軍に「一兵卒として従軍させろ」と押し掛け、人事担当者を困惑させたという。国本社では副会長をつとめ、講演活動にも熱心であった。

・物理学に精通したという立場からか極めて現実主義者であり、大正時代の千里眼事件で一番早くに疑念を唱えた。

・「はじめてカレーライスを食べた日本人」と諸本[要出典]で紹介されていることが多い。実際にカレーライスを食した日本人一号が誰だったかはともかく、明治4年(1871年)に国費留学生としてアメリカに向かう船中でカレーライスを食べたという記述を回想録[要出典]に書き残している。しかし、カレーライスを選んだのはそれが唯一米を使った料理であったからで、カレーはすべて残したという。

家族
・父:山川重固(会津藩国家老)
 ・兄:浩(陸軍少将、男爵)
 ・姉:操(明治天皇フランス語通訳兼昭憲皇太后付女官、小出光照の妻)
 ・姉:二葉(女子教育者・東京女子高等師範教諭)
 ・妹:捨松(元老・大山巌公爵の妻)
・妻:鉚(りゅう、建築家・辰野金吾の妻の妹)
 ・長男:洵(日本農芸化学会副会長、東京帝国大学教授、男爵)
 ・四男:建(文部省局長、山川浩家を承継[4]。貴族院議員)
 ・次女・佐代子(九州帝国大学教授・理学者・寺野寛二の妻)
 ・三女:照子(東京都知事・東龍太郎の妻)
・孫:建重(東海区水産研究所所長、農学博士、男爵)
・曾孫:箙田鶴子(えびら たづこ、作家。佐代子の娘の娘)

栄典
・1881年(明治14年)9月24日 - 従六位[2][5]
・1886年(明治19年)7月8日 - 正六位[1][6]
・1891年(明治24年)6月27日 - 勲六等瑞宝章[1]
・1892年(明治25年)2月29日 - 従五位[1]
・1894年(明治27年)10月10日 - 正五位[1]
・1895年(明治28年)6月21日 - 勲五等瑞宝章[1][7]
・1896年(明治29年)12月25日 - 勲四等瑞宝章[1][8]
・1899年(明治32年)
 ・7月10日 - 従四位[1]
 ・12月27日 - 勲三等瑞宝章[1][9]
・1904年(明治37年)8月1日 - 正四位[1]
・1905年(明治38年)12月27日 - 従三位[1]
・1906年(明治39年)4月1日 - 旭日中綬章[1]
・1912年(明治45年)6月27日 - 勲二等瑞宝章[1]
・1912年(大正元年)8月1日 - 韓国併合記念章[2]
・1915年(大正4年)
 ・11月10日 - 大礼記念章(大正)[2][10]
 ・12月1日 - 男爵[1]
・1916年(大正5年)
 ・4月1日 - 旭日重光章[1]
 ・6月10日 - 正三位[1]
・1920年(大正9年)6月25日 - 勲一等瑞宝章[2][11]
・1923年(大正12年)6月30日 - 従二位[1]
・1928年(昭和3年)
 ・4月21日 - 旭日大綬章[1]
 ・11月10日 - 大礼記念章(昭和)[2]
・1930年(昭和5年)7月15日 - 正二位[1]
・1931年(昭和6年)
 ・3月20日 - 帝都復興記念章[2][12]
 ・6月26日 - 旭日桐花大綬章[1]
外国勲章佩用允許
・1915年(大正4年)12月2日 - 一等嘉禾章(中華民国)[2]
詳しい事は、「山川健次郎ウィキペディア」をご覧くださいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E5%81%A5%E6%AC%A1%E9%83%8E
(wikiより)

関連情報
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1475 赤羽四郎・イレン墓(福島県会津若松市北青木13-33・善龍寺)

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1687 長岡半太郎墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

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1700 山川浩墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

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1934 寺尾寿墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

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2419 井深梶之助墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

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2460 小川亮墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

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2498 秋月悌次郎(胤永)墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

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4573 奥平謙助墓(山口県萩市椿4132・大照院)


 山川健次郎