酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6273 相馬充胤墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

相馬 充胤(そうま みちたね、文政2年3月19日(1819年4月13日) - 明治20年(1887年)2月19日)は、江戸時代後期から末期の大名。相馬氏第28代当主。陸奥中村藩第12代藩主。


第11代藩主・相馬益胤の長男。母は松平頼慎(水戸藩支流)の娘。正室は柳沢保泰の娘、継室は松平頼升(水戸藩支流)の娘、太田資始の娘。子は、誠胤(次男)、佐竹義理(三男)、順胤(四男)、娘花子(有馬純文正室)、娘(相馬胤紹室)。従五位下、大膳亮。


略歴
天保4年(1833年)2月15日、将軍徳川家斉に拝謁する。
同年12月16日、従五位下大膳亮に叙任。


天保6年(1835年)3月7日、父の隠居により12代藩主に就任する。二宮尊徳に領内指導を依頼した。


元治元年(1864年)5月5日に従四位下に昇叙し、同年同月7日、大膳大夫に転任。


慶応元年(1865年)4月24日、隠居し、長男誠胤に家督を譲る。


慶応4年8月、戊辰戦争で明治政府軍に降伏し、謹慎を命じられる。


明治3年5月7日、明治天皇に拝謁する。


明治20年(1887年)死去。


大正11年(1922年)11月18日、贈従三位。


関連項目・関連人物
・相馬誠胤
・二宮尊徳
・報徳仕法
(wikiより)


 相馬充胤



 奥様のお墓です。