酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6267 折田兼至の胸像(鹿児島県南九州市知覧町)

折田兼至の胸像


折田兼至 ( おりた - かねたか ) は、安政 5年 ( 1858 ) 年に下郡 ( しもごおり ) に生まれました。


明治 16年、25歳で県会議員に当選し、30歳で議長をつとめました。


その 2年後には第 1回国会衆議院議員に当選します。


明治 30年 ( 1897年 ) からは経済界に身をおき、県農工銀行頭取、県農会会長、南薩鉄道、鹿児島紡績会社などの重役を歴任し、民間知事と呼ばれました。


知覧では、消防団創設、知覧区裁判所新設、木床県道 ( 旧県道 1号線 ) を開通させ、町全戸にみかんの苗木を贈与したりするなど貢献しました。


明治 15年 ( 1882年 )、彼の呼びかけにより、この場所に新聞や雑誌がおかれ、みんなが自由に閲覧できる鹿児島県で初めての新聞縦覧所が設置されました。


大正 12年、65歳で亡くなりましたが、彼の偉業をたたえて、昭和 4年 ( 1929年 )、村により安藤照製作の全身姿の銅像が建立されました。


しかし、昭和 18年 6月 15日、銅像は溶かして戦争で使うために軍に出したので、しばらく銅像がなかった時期がありました。


やがて戦争は終わり、昭和 38年 11月に役場庁舎改築に併せて、当時の台座の上に再び銅像を建立することになりました。


また、鹿児島市内照国神社前の県立博物館の敷地 ( 照国神社の西側に私邸があった ) にも、大正 14年、有志により建てられた顕彰碑があります。
(碑文より)


● 折田兼至 ( おりた - かねたか )
( 1858 - 1923 ) 


明治時代の政治家。


安政 5年 1月生まれ。


明治15年熊本に九州進歩党を創立。


鹿児島県会議員となり、同議長。


23年衆議院議員 ( 当選 4回 )。


鹿児島県農工銀行頭取もつとめた。


大正 12年 6月 5日死去。66歳。薩摩 ( さつま )( 鹿児島県 ) 出身。