酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6255 旧伊東民部邸(宮崎県日南市飫肥4)

この近くに「飫肥天(さつま揚げ)」のお店が有るのですが、ちょっと甘い(九州の料理全般)けど美味しかったですよ。





映画「石井十次の生涯 石井のおとうさんありがとう」の飫肥ロケーション地


宮崎県日南市の飫肥は、飫肥藩伊東家五万一千石の城下町として栄えた地で、明治を代表する外交官・小村寿太郎の生まれた町でもあります。


今は、国選定の日南市飫肥伝統的建造物群保存地区に指定され、飫肥城近くから上級家臣、中級家臣、町屋、下級家臣と並んでいる各武家屋敷は、飫肥石や玉石の石垣と生垣に囲まれており格式に応じられた門が設けられております。


● 石井十次の生涯 石井のおとうさんありがとう
『石井のおとうさんありがとう』( いしいのおとうさんありがとう ) は 2004年公開の日本映画。製作・配給は現代ぷろだくしょん。


概要
明治期に日本初の孤児院を創設し、後に「児童福祉の父」「岡山四聖人の一人」と称えられた石井十次 ( 宮崎県児湯郡高鍋町出身 ) の生涯を描いた作品。


「現代ぷろだくしょん」製作であるため、大手映画配給網への配給が成されておらず、1日単位で借りることのできる演芸場やコンベンションホールないしはミニシアターを利用した「地域巡回上映」で公開されている作品である。


巡回上映は現在も行われているため、そのスケジュールを公式サイトなどで確認することができる。


受賞
・平成 17年度 こども未来財団 児童福祉文化賞
・平成 17年度 厚生労働省 児童福祉文化賞
・第 14回 日本映画批評家大賞 主演男優賞 ( 主演・松平健 )


あらすじ
日本から遠く離れたブラジルの日本人街。日系ブラジル人のヨーコは日本人ブラジル移民であった祖父から「石井のおとうさんありがとう」と書き添えられた一枚の写真を手渡される。


写真に記された「石井のおとうさん」とは誰なのか。自身のルーツに興味を持ったヨーコは祖父の育った日本は宮崎へと飛ぶ。「石井のおとうさん」の物語と足跡を追うために。


出演者
・石井十次:松平健
・石井品子:永作博美
・大原孫三郎:辰巳琢郎
・炭谷小梅:竹下景子
・吉田辰子:星奈優里
・園長:大和田伸也
・渡辺亀吉:ケーシー高峰
・菅之芳:石濱朗
・武用五郎辺衛:堀内正美
・林源十郎:小倉一郎
・児島虎次郎:南原健朗
・石井万吉:草薙幸二郎
・金森通倫:牟田悌三
・老婆:丹阿弥谷津子
・石井乃婦子:磯村みどり
・青木:中谷彰宏
・新島襄:真砂皓太
・前原つね:和泉ちぬ
・豊熊巡査:山崎之也
・西山洋子:今城静香
・石井友子:須貝真己子
・ウノ:相生千恵子
・イワ:高松博美
・川上:高村尚枝
・山室軍平:草薙仁
・森友治:本間健太郎
・井上巡査:瀬野和紀
・松本先生:市原康
・八郎:山田太郎、黒岩司 ( 青年期 )
・長谷川昇次郎:山本道
・前原定一:山辺悠太、真子展幸 ( 青年期 )
・池本杢次:篠原健太
・岡本儀助:林泰之、樋口倫也 ( 青年期 )
・宮本ヨネ:吉田佳菜
・宮本キノ:秋吉海音
・隣の女房:山本昌代


スタッフ
・ゼネラルプロデューサー:山田火砂子
・原作:横田賢一
・監督:山田火砂子
・脚本:青木邦夫、松井稔、山田火砂子
・プロデューサー:井上真紀子
・撮影監督:長田勇市
・美術監修:木村威夫
・美術監督:丸山裕司
・音楽:石川鷹彦
・録音:沼田和夫
・仕上録音:福島音響
・編集:浦岡敬一
・助監督:石田和彦
・衣裳:ケイプランニング
・美粧:小堺なな
・題字・版画:野村たかあき


外部リンク
・映画「石井のおとうさんありがとう」公式サイト


● 石井十次
石井 十次 ( いしい - じゅうじ、1865年 5月 5日 ( 慶応元年 4月 11日 ) - 1914年 ( 大正 3年 ) 1月 30日 ) は、明治期の慈善事業家で、岡山孤児院を創設した人物である。


その功績から、「児童福祉の父」と言われる。


アリス・ペティ・アダムス、留岡幸助、山室軍平とともに「岡山四聖人」と称される。


彼は岡山で医師を目指して、岡山医学校 ( 現在の岡山大学医学部 ) の医学生として研修中であったが、ある孤児を引き取ったことを経緯に、信仰的覚醒から孤児事業に専念するために医師として働くことを断念した。


そして英国のキリスト者のジョージ・ミュラーをモデルにして、キリスト教信仰に根ざした岡山孤児院を創設して[1][2]、生涯を孤児救済に捧げた。


岡山孤児院はすでに存在しないが、石井記念友愛社 ( 宮崎県 ) と石井記念愛染園 ( 大阪府 ) が後を引き継ぎ、各種の福祉活動をおこなっている。


略歴
・1865年 5月 5日 ( 慶応元年 4月 11日 ) - 日向国児湯郡上江村馬場原 ( 現在の宮崎県児湯郡高鍋町馬場原 ) で、高鍋藩の下級武士、石井万吉・乃婦子夫妻の長男として生まれる。


・1881年 ( 明治 14年 ) - 内野品子と結婚。上江小学校で教鞭を執る。


・1882年 ( 明治 15年 ) - 医学を学ぶため岡山市に移住。キリスト教に入信。岡山甲種医学校に入学。


・1884年 ( 明治 17年 ) - 岡山基督教会 ( 現日本基督教団岡山教会 ) で洗礼を受ける。


・1886年 ( 明治 19年 ) - 岡山県甲種医学校を卒業。


・1887年 ( 明治 20年 ) - 巡礼途中で夫に先立たれた母親から一人の男児を引き取る。これをきっかけに孤児教育会 ( 後の岡山孤児院 ) を岡山市の三友寺で創設。


・1888年 ( 明治 21年 ) - 小林富次郎商店 ( 現在の株式会社ライオン ) より寄付金の提供が始まる。


・1889年 ( 明治 22年 ) - 孤児救済に生涯を捧げることを決意し、岡山高等学校医学部を中退。アメリカ少年会より寄付金。


・1892年 ( 明治 25年 ) - 前年の濃尾地震に被災した孤児 93人のため名古屋市に孤児院を開設 ( 翌年には閉鎖し、院児は岡山へ )。


・1894年 ( 明治 27年 ) - 郷里である宮崎県の茶臼原 ( ちゃうすばる、現在の木城町・西都市 ) へ移住するため、院児 25人が現地で開墾を始める。


・1895年 ( 明治 28年 ) - 品子死去。吉田辰子と再婚。


・1895年 ( 明治 28年 ) 3月 17日 - 石井は岡山教会の安部磯雄牧師を訪ね、トルストイの著書2冊と社会論 1冊を借り、午後安部の説教を聞いたが、批判的な所感を日誌に残している。その後石井は安部より大きな影響を受けた[3]。


・1897年 ( 明治 30年 ) - アメリカ人ビンリングスより寄付金。


・1898年 ( 明治 31年 ) - 私立岡山孤児院尋常高等小学校を設立する。大原孫三郎と知り合い、それ以降、経済的な援助を受ける。孤児による音楽隊、音楽幻灯隊が活動を始める。


・1899年 ( 明治 32年 ) - 幼稚園を設立。在清国セルデン氏より寄付金。


・1901年 ( 明治 34年 ) - 大原孫三郎に石井スエ ( 大原寿恵子 ) を紹介。二人は結婚。


・1904年 ( 明治 37年 ) - 日露戦争による戦争孤児 63名を受け入れる。


・1906年 ( 明治 39年 ) - 東北地方の凶作による孤児 824名を受け入れる。岡山孤児院の収容者数が 1,200人を超える。


・1907年 ( 明治 40年 ) - 東京事務所と大阪事務所を開設。


・1909年 ( 明治 42年 ) - 大阪に愛染橋保育所と愛染橋夜学校を、東京に日本橋同情館 ( 職業紹介、代書、代読、施療周旋 ) を設立。


・1912年 ( 大正元年 ) - 随時実行していた茶臼原への孤児院の移転が、女子部移転をもってほぼ完了。


・1913年 ( 大正 2年 ) - 私立茶臼原尋常小学校を設立。長女友子が、大原孫三郎夫妻を媒酌人として、洋画家・児島虎次郎と結婚。


・1914年 ( 大正 3年 ) - 長女・友子の出産を電報で知る。同日、持病の腎臓病が悪化し、永眠。48歳。


・1917年 ( 大正 6年 ) - 大原孫三郎が岡山孤児院大阪事務所を拡張し、財団法人石井記念大阪愛染園を設立。愛染橋保育所と愛染橋夜学校の事業を引き継いだほか、救済事業研究室を付設 ( 法政大学大原社会問題研究所の前身 )。その後は社会福祉法人石井記念愛染園となり、病院、保育園、特別養護老人ホームなどを運営。


・1926年 ( 大正 15年 ) - 岡山孤児院、茶臼原孤児院が活動を終了する。


・1945年 ( 昭和 20年 ) - 茶臼原孤児院が、太平洋戦争の被災孤児救済を目的に石井記念友愛社として活動を再開、その後、社会福祉法人石井記念友愛社となり、児童養護施設、保育園などを運営。


・1966年 ( 昭和 41年) - 生誕 100年となる。石井十次記念館 ( 岡山孤児院の家族舎、一棟のみ ) が財団法人石井十字記念聖園に譲渡される。その後、石井十次記念聖園の解散により、1981年 ( 昭和 56年 ) に児童養護施設を運営する社会福祉法人新天地育児院に譲渡される。


・1981年 ( 昭和 56年 ) - 財団法人・石井十次顕彰会が設立される。


石井十次に関連する作品
映画『石井のおとうさんありがとう』( 2004年 ) - 制作・現代ぷろだくしょん、監督・山田火砂子、主演・松平健。


石井十次賞
1990年に石井十次顕彰会 ( 宮崎県 ) により石井十次賞が創設され、毎年、石井十次の精神を継承し福祉活動に尽力している団体にこの賞が贈られている。


脚注
1. 木原活信 「ジョージ・ミュラーが石井十次に及ぼした影響」『石井十次の研究』 同志社大学人文科学研究所編、室田保夫・田中真人編著、同朋舎、角川書店(発売)〈同志社大学人文科学研究所研究叢書〉、1999年、1-26頁。ISBN 4-8104-2555-X。
2. 岡山孤児院は、「日本で最初の孤児院」と言われることもあるが、それ以前にも1869年の松方正義による「日田養育館」や、1974年の岩永マキによる「子部屋」(後の浦上養育院)などの先行する取り組みがある。
3. 井口隆史 『安部磯雄の生涯 : 質素之生活 高遠之理想』 早稲田大学出版部、2011年、90-97頁。ISBN 978-4-657-11006-0。


参考文献
・更井良夫 『石井十次と岡山孤児院』 石井十次先生銅像再建委員会、1995年、第2版。全国書誌番号:96004140。OCLC 673889685。
・室田保夫・田中真人編著 『石井十次の研究』 同志社大学人文科学研究所編、同朋舎、角川書店(発売)〈同志社大学人文科学研究所研究叢書〉、1999年。ISBN 4-8104-2555-X。
・細井勇 『石井十次と岡山孤児院 : 近代日本と慈善事業』 ミネルヴァ書房〈Minerva社会福祉叢書〉、2009年。ISBN 978-4-623-05181-6。
・横田賢一 『岡山孤児院物語 : 石井十次の足跡』 山陽新聞社、2002年。ISBN 4-88197-703-2。
・和田登 『石井のおとうさんありがとう : 石井十次の生涯』 和田春奈画、総和社、2004年。ISBN 4-901337-84-X。
・高橋彦博「大原社会問題研究所創立前史の記録 (PDF) 」 、『大原社会問題研究所雑誌』第492号、法政大学大原社会問題研究所、1999年、 18-36頁、 ISSN 0912-9421、 NAID 120002439664、2013年9月27日閲覧。


関連項目
・教育関係人物一覧
・岡山県出身の人物一覧、宮崎県出身の人物一覧
・○○の父一覧
・大原孫三郎
・児島虎次郎


外部リンク
・“石 井 記 念 グ ル ー プ”. 2013年9月27日閲覧。
・“社会福祉法人石井記念愛染園”. 2013年9月27日閲覧。
・宮崎県教育研修センター. “ひむか学 石井十次”. ひむか学ネット. 2013年9月27日閲覧。
・岡山市立中央図書館. “わが国最初の孤児院創設者・石井十次”. 岡山シティミュージアム/デジタルアーカイブ. 岡山市. 2013年9月27日閲覧。
・ライオン株式会社. “第二展示室 「慈善券」事業”. ミュージアム. 2013年9月27日閲覧。
・川添和良. “孤児の父「石井十次」”. 2013年9月27日閲覧。
(wikiより)


 石井十次