酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6253 剣法発祥乃聖地碑(宮崎県日南市宮浦・鵜戸神宮駐車場)

剣法発祥乃聖地

鵜戸神宮ハ平安時代ノ初ニ勅号ヲ鵜戸山大権
現仁王護国寺ト賜ワリ両部神道ノ大道場デア
ッタ此ノ怒濤巌ヲ噛ミ深緑苔ヲ湿オス荘厳ナ
霊境ヲ慕イ八方ノ修験者ガ争ッテ参籠シ常ニ
堂ニ溢レタ古典ニ依ルト奥州相馬ノ出身相馬
四郎義元即チ慈音ハ鵜戸神窟ニ籠リ神示ヲ受
ケテ奥義ヲ悟リ茲ニ念法ヲ開イテ世ニ剣聖ト
謳ワレタ又伊勢ノ出身日向守愛洲移香ハ鵜戸
権現ニ祈リ夢ニ神猿ヲ見テ奥秘ヲ悟リ茲ニ陰
流ヲ創メテ世ニ創祖ト仰ガレタ故ニ技ヲ磨キ
法ヲ鍛エ道ヲ修メントスル剣士ガ雲ノ如ク集
マリ日夜松風ニ心ヲ澄マセ濤声ニ夢ヲ練リ幽
玄ナ神威ニ触レテ士魂ヲ固メタサテモ剣ヲ撃
ツ処足ハ大地ヲ踏ミ鳴ラシ声ハ御山ニ木霊シ
テ気勢盛ンニ広大ナ神域ヲ圧シタ其ノ後鵜戸
山ヲ源流トスル剣法ハ漸次諸国ニ拡ガリ様々
ノ流派ヲ生ミ近世日本ノ剣道ヲシテ万朶ノ花
ト栄エサセタ誠ニ剣法発祥ノ霊地ト鑽仰サレ
ル所以デアル茲ニ尊イ文花ノ跡ヲ顕彰シ此ノ
碑ヲ建立スルモノデアル


昭和 32年 2月 1日建立
剣法発祥鵜戸山顕彰会
(碑文より)


鵜戸神宮は、足利時代に日本最初の剣豪とうたわれた相馬四郎義元 ( 慈音 ) が剣法“念流”を,、また 室町時代には 愛州移香が剣法“陰流”を、いずれもこの地において創始したと伝えられ、このため“剣法発祥の聖地”と呼ばれる。


相馬四郎義元は奥州相馬で生まれ、一遍上人の許しを受けて仏門に入ったが、5歳の時に殺された父の仇を討ちたい一念で独自に剣術の修業をはじめた。


諸国を行脚した後に鵜戸神宮の岩屋に籠もり、夢で剣術の妙を得たとされる。


これが“念流”の誕生である。


相馬四郎はその後還俗して故郷に戻り 父の仇討ちを成就したという。


また 伊勢国の愛洲久忠は、幼い頃から天才的な剣士として知られていた。


武者修行のため諸国を巡り 京都で住吉流の剣士と試合をして敗北。


36歳の時に日向の鵜戸神宮にたどり着き、太平洋の荒波が形成した洞窟の神殿に籠もり、剣法の奥義を悟ったとされる。これが“陰流”の誕生である。


念流・陰流とも、その後さまざまな流派に受け継がれた。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2161.html
1974 一遍上人の島井戸(江ノ島大師そば)