酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6246 成瀬正行墓(台東区谷中・谷中霊園)

成瀬正行 ( なるせ - まさゆき )
明治 19年 ~ 昭和 19年 7月 8日 ( 1886 - 1944 )


川崎造船所・日本瓦斯等取締役。


父、成瀬岩太郎 ( 4男 )。香川県出身。


明治 26年 ( 1893 ) 慶大を卒業。


明治 27年 ( 1894 ) 農商務省海外実業研修生の一員として英国に渡航。


5年に亘り重工業各社の実務を学び、帰朝後は川崎造船所へ入社。


のち独立して神戸に「盛興商会」を興し、機械・船具・鉄工等の直輸入を営み、欧州戦乱があり一代で巨万の富を築く。


東邦電力・川崎造船所・旭石油・千歳火災海上保険・千代田火災各取締役。長良川電化・旭石油監査役。


 成瀬正行邸:コンドルによる建築の中で唯一鉄筋コンクリート造り。


大正 8年 ( 1919 ) 暮れに落成。


成瀬正行は神戸に居住していたが、友人の英国新聞日本支社長死去に際し、請われて故人が有した広尾 ( 麻布区 ) の土地を購入。


土地には丹精こめた広大な庭園があり、これを生かした邸の設計をコンドルに依頼。


昭和 5年 ( 1930 ) 7月 14日には、フランス共和国独立紀念祭が成瀬正行邸に於て開催、渋沢栄一も出席して同国大使と会見している。


のち、成瀬正行は世田谷の桜新町に移り、邸は昭和 15年 ( 1940 ) 堤康次郎が取得。総理大臣別邸として貸与していた。


通称「大東亜迎賓館」ともいわれ、大東亜戦争前の一時期、南京政府の陳公博・英領インドのチャンドラ ボース・蘭領インドシナのスカルノ・当時の閣僚東条英機・重光葵・藤原銀次郎などが利用した。


のち空襲で昭和 19年 ( 1944 ) 5月の空襲で堤邸は全焼。邸門、門衛所、石堀だけが焼け残った。


堤康次郎は、大資本家でもなく公職追放処分も受けず、解体された 10財閥に代わる新興コンツェルンを築き上げ、没後を引き継いだ堤清二が、セゾングループを作った。


グループの迎賓館「米荘閣」を 2年がかりで完成させたが、バブル崩壊により不要化した迎賓館は、土地ごと売却された。


そして、わずかに残っていた邸門、門衛所、石堀も消滅した。


戒名 : 「随信院釈行円信士」。