酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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6234 松平乗政墓(台東区谷中・谷中霊園)

松平 乗政(まつだいら のりまさ)は、常陸小張藩主、後に信濃小諸藩の初代藩主。岩村藩大給松平家初代。祖母が石川康通の娘であったことから石川 乗政(いしかわ のりまさ)とも言われる。


生涯
寛永14年(1637年)、美濃岩村藩の第2代藩主(のちに遠江浜松藩主、上野館林藩初代藩主)松平乗寿の次男として生まれる。嗣子に兄の乗久がいたため、寛永21年(1644年)4月22日、第3代将軍徳川家光に拝謁し、家光に近侍した。家光に四男の綱吉が生まれると、綱吉に近侍する。正保4年(1647年)8月16日に従五位下・美作守に叙位・任官する。

家光没後は第4代将軍徳川家綱に仕え、慶安5年(1652年)6月4日に御小姓に任じられ、承応元年(1652年)11月7日に1000俵取りの知行を与えられる。承応3年(1654年)に父が死去すると、その遺領から5000石を分与されて旗本となる。寛文2年(1662年)には小姓組番頭に任じられ、同時に奥勤めも命じられた。延宝7年(1679年)には若年寄に任じられ[1]、同時に常陸河内郡・真壁郡などに5000石を加増され、1万石の大名として常陸小張藩主となった。

延宝9年(1681年)7月22日、下総結城郡5000石を加増されて1万5000石となる。天和2年(1682年)3月22日に奏者番に任じられ[1]、同時に5000石の加増を受けて信濃小諸へ加増移封された[1]。小諸では同年7月に17か条の領内法度を制定し、五人組やキリシタン宗門、街道伝馬の整備、田畑耕作、理不尽の儀など領民の統制を細分化した[1]。また翌年には新田開発も行なった[1]。

貞享元年(1684年)10月16日に領地である小諸城内で死去した[1]。享年48[1]。跡を長男の乗紀が継いだ。

脚注
注釈
引用元
1. a b c d e f g h 塩川『シリーズ藩物語 小諸藩』、P129

参考文献
・塩川友衛『シリーズ藩物語 小諸藩』(現代書館、2007年8月)
(wikiより)


関連情報
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6235 松平乗長墓(台東区谷中・谷中霊園)


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6236 松平乗文墓(台東区谷中・谷中霊園)


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6237 松平乗武墓(台東区谷中・谷中霊園)


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6238 松平章子墓(台東区谷中・谷中霊園)


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6239 松平乗忠墓(台東区谷中・谷中霊園)