酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6232 佐々木卯之助供養碑(神奈川県茅ヶ崎市本村4-21-34・海前寺)

享保十三年徳川幕府は、柳島相模川河口より藤沢片瀬川に至る海岸一帯に相州砲術調練場を開設した。


長さ百三十町、巾は海岸線より八町~十町の帯状の地域であった。


佐々木卯之助は大筒役と言って鉄砲方役人であり鉄砲場の管理責任者であった。


附近の住民は田畑は少なく貧困であった。


立入禁止の砲術場内の荒地を開墾耕作し食料の自給を計っていたが、佐々木氏はそれを黙認していたが、代官の検地によりこのことが発覚、天保六年、八丈島遠島の刑に処せられ青ヶ島へ送られた。


明治元年十二月赦免となったが病気を理由に在島、明治九年十二月同島において死去、行年八十二才と云う。


村人はこの恩義を後世に伝えるため追悼記念碑を鉄砲場縁の地に建てている。


この碑は青ヶ島墓地にあったものを佐々木家の御厚意によりここに移し供養碑として祀る。
(碑文より)


● 佐々木卯之助
佐々木卯之助(ささき うのすけ、1795年(寛政7年) - 1876年(明治9年))は、江戸幕府の大筒役。


経歴
・1795年(寛政7年) - 父伝左衛門の子として生まれる。
・1824年(文政7年) - 相州炮術調練場の責任者である、幕府大筒役となる。
・1835年(天保6年)12月 - 評定所から伊豆国青ヶ島遠島の判決を受ける。
・1836年(天保7年)3月 - 刑執行。
・1868年(明治元年)12月 - 赦免となる。
・1876年(明治9年) - 青ヶ島で死去。


佐々木卯之助事件
農民が、立入禁止の相州炮術調練場で耕作していたことを、佐々木卯之助が黙認していたことが、江川英龍の検地により判明した。


これを受け、評定所は、長男の菊次郎とともに、青ヶ島遠島の判決を出した。


事件当時は、天保の大飢饉が発生しており、卯之助の計らいは、農民に感謝されていた。このため、死後、初代茅ヶ崎村長が発起人となり、追悼記念碑が建てられた。(神奈川県茅ヶ崎市東海岸五丁目に所在。)


墓標
・当初、青ヶ島にあったが、後に海前寺(神奈川県茅ヶ崎市東海岸五丁目)に移されている。


外部リンク
佐々木卯之助事件
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/199.html

195 佐々木卯之助追悼記念碑(神奈川県茅ヶ崎市・東海岸北5丁目)