酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6217 富井於菟墓(台東区谷中・谷中霊園)

富井 於菟(とみい おと、慶応2年6月7日(1866年7月18日) - 明治18年(1885年)12月2日)は、日本の社会運動家、教師。婦人解放運動のさきがけとしてその名を知られる。別名に富井とら(虎子)。


来歴
播磨国龍野の醤油問屋の娘として生まれる。兄一人、姉三人、妹一人いる。


幼い頃から学問が好きで、組合立龍野中学校で学ぶ。


1881年(明治14年)同校を卒業後京都にのぼり岸田俊子のもとで学ぶ、その後上京し、自由燈の校正係となり、その後絵入自由新聞の記者として奉職。日本で最初の女性新聞記者と呼ばれる。


新聞記者従事中に、福田英子と知り合い、婦人解放運動を活動させる。


その後キリスト教に入信し、1885年(明治18年)明治女学校の学校教員として赴任する。しかし、間もなく腸チフスに罹患し、同年12月2日夭折。満19歳没。


参考文献
・内海繁「冨井於菟小伝」1977年(『播州平野にて』(1983年、未来社)に収録)


外部リンク
・妾の半生涯 福田英子著
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7230.html

6218 富井六造墓(台東区谷中・谷中霊園)