酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6216 有 吉明墓(台東区谷中・谷中霊園)

有吉 明(ありよし あきら、1876年4月15日 - 1937年6月25日)は、明治、大正、昭和前期の外交官。初代中華民国大使。


人物
京都府出身。父は宮津藩藩士・京都留守居役・郡長の有吉三七。


1899年に東京高等商業学校(一橋大学の前身)を卒業し、外務省入省。


10年にわたる上海総領事と、初代中華民国大使として昭和初期の日本の中国大陸に対する政策の最前線に身を置いた。汪兆銘、蒋介石とも会談を重ね、日本国内の中国(華北)進出論に対して穏健論を通したが、当時の政府方針と合致せず事実上の解任となり中国を離れた。


経歴
・1876年京都府下丹後国与謝郡生まれ。後、京都府立商業学校(京都市立西京高等学校の前身)入学。


・1898年 東京高等商業学校(一橋大学の前身)専攻部卒業。同年外務省に入省。漢口、仁川、ロンドンに赴任。


・1904年2月 釜山領事を拝命。


・1906年1月 釜山理事庁副理事官を拝命。


・1906年3月 釜山理事庁理事官を拝命。


・1906年8月 牛荘領事を拝命。


・1908年4月 在フランス大使館二等書記官を拝命。


・1909年11月 上海総領事を拝命。


・1919年9月 上海総領事離任。


・1920年4月 在スイス国特命全権公使を拝命。
国際連盟総会日本代表(第2回-第4回)


・1926年11月 在ブラジル国特命全権大使を拝命。


・1930年7月 在ブラジル特命全権大使離任。


・1932年7月 在中華民国国特命全権公使を拝命。


・1935年5月 初代在中華民国特命全権大使を拝命(公使館から大使館への昇格)。


・1936年3月6日 依願退職。


栄典
・1906年(明治39年)4月1日 - 明治三十七八年従軍記章[1]


親族
・妻 岡沢精の娘。
・長男 有吉正(元国民金融公庫副総裁)
・兄 有吉忠一
・弟 有吉実

脚注
1. 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。
(wikiより)


戒名 : 「平等院殿光誉至徳明徴大居士」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1668.html

1537 岡沢精墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)



 奥様のお墓です。