酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6211 小杉雅之進墓(台東区谷中・谷中霊園)

小杉 雅之進(こすぎ まさのしん、天保14年10月1日(1843年11月22日) - 明治42年(1909年)8月21日)は、江戸幕末~明治期の武士・幕臣・逓信官僚。正六位勲六等。諱は直道。号は竹筠。維新後、雅三と改名。


略歴
安政4年(1857年)、長崎海軍伝習所三期生に選ばれ、機関学を学ぶ。その後、軍艦操練所教授方手伝となり、万延元年(1860年)、咸臨丸の太平洋横断時には蒸気方の見習士官を務めた。慶応3年(1867年)、軍艦蒸気役一等となり、開陽丸機関長を務めた。戊辰戦争では榎本武揚に従い、箱館政権では江差奉行並となった。


赦免後、明治7年、内務省駅逓寮十等出仕、以後、明治14年、農商務省商務局二等属、管船局准奏任御用掛(同僚に小笠原賢蔵、矢田堀鴻ら幕府海軍関係者)、明治18年、逓信省管船局御用掛准奏任(同僚に矢田堀鴻、森本弘策)、司検官、船舶課長、大阪船舶司検所長を歴任、海事行政を担当した。退官後、大阪商船の監督部長となった。


参考文献
・橋本進『咸臨丸還る 蒸気方 小杉雅之進の軌跡』(中央公論新社、2001年) ISBN 4120031071
・合田一道 編著、小杉伸一 監修『小杉雅之進が描いた箱館戦争』(北海道出版企画センター、2005年) ISBN 4832805053
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/434.html

424 咸臨丸図面発見の地碑(神奈川県藤沢市江の島1-4-3・児玉神社)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2733.html
2472 肥田浜五郎墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


 後列左から小杉雅之進、榎本対馬、林董、松岡磐吉、前列左から荒井郁之助、榎本武揚