酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6200 新村信墓(台東区谷中・谷中霊園)

新村信 ( にいむら - のぶ ) 嘉永 5年? ~ 明治 38年 2月 8日 ( 1852 ? - 1905 )


通称、お信の方。


父、元旗本・松井勘十郎。


旗本・荒井省吾の養女となり、さらに小姓頭取・新村猛雄の養女となって側室にあがる。


新村猛雄は、一橋家時代から慶喜に仕え、維新後も慶喜家の家扶をつとめる。


また、言語学者新村出 ( 1876 - 1967:京都大学名誉教授 ) の養父でもある。


幕末には、慶喜に 10人ほど側室がいたが、維新後に駿府に移り住むようになって、ほとんどの側室に暇をとらせた。


最後まで慶喜の身の回りの世話をしたのは、新村信と中根幸子だった。


お信の子は、明治 8年 ( 1875 ) 10月 3女・鉄子 ( 徳川達道夫人 )、明治 10年 ( 1877 ) 8月 5日 ・5男仲博 ( 池田輝知の養子 )、明治 15年 ( 1882 ) 9月 9女・経子 ( 伏見宮博恭王妃 )、明治 17年 ( 1884 ) 9月 7男・徳川慶久 ( 慶喜の後嗣 )、明治 20年 ( 1887 ) 12女・英子 ( 水戸徳川圀順夫人 )、明治 21年 ( 1888 ) 8月 10男・勝精 ( 勝海舟の養子 )。


墓は、慶喜墓後、右の墓標。正面「新村信子」。