酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6199 一色寿賀墓(台東区谷中・谷中霊園)

一色須賀 ( いっしき - すが )
天保 9年 4月 26日 ~ 昭和 4年 ( 1838 - 1929 )


幼名、みち。名、須賀。


父、旗本西の丸小姓組藩士・一色貞之助定住 ( 長女 ) で、一色家の婿養子。


江戸赤坂仲町の築地屋敷で生まれる。


母の名は"ます"で、甲府勤番支配の旗本・松平伯耆守信愛の二男が一色家に婿養子として入り生れた。


伯父には、大目付や外国奉行を務めた駒井信興がいる。


6歳のとき一橋家の奥女中であった伯母の杉浦の養女となり、一橋家に入る。


のち、徳川慶喜の正室・美賀子付きの女中となる。


美賀子没後も慶喜に仕え、文政 4年 ( 1821 ) 17歳で慶喜 ( このとき 18歳 ) の側室となる。


大奥には入らず、慶喜を奥向き女中頭として仕えた。


慶喜には、正室と須賀に子は無かったが、側室の間に 10男 11女を設け、8人は夭折し多くは成人し、それぞれ明治時代の中でことごとく高い地位にある。これは一色須賀によるところが大きいといわれる。


92歳没。墓碑は、正面より左側、「徳川家之墓」の後ろ側。正面「一色寿賀之墓」。"寿"である点に留意。