酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6192 高木豊三墓(台東区谷中・谷中霊園)

高木 豊三(たかぎ とよぞう、嘉永5年5月17日(1852年7月4日) - 大正7年(1918年)3月15日[1])は、日本の司法官僚、判事、弁護士、貴族院勅選議員。


経歴
丹波国桑田郡神吉村(現在の京都府南丹市)に、高木文右衛門の四男として生まれる。司法省明法寮に入学し、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードにフランス法を学んだ。卒業後、司法省に出仕し、ついで太政官法制局に移った。1884年(明治17年)、判事となり、1886年(明治19年)から4年間ドイツに留学した。帰国後は、福島地方裁判所所長、大審院判事、司法省民刑局長、司法次官を歴任した。


1898年(明治31年)に退官した後は、弁護士を開業し、日本赤十字社法律顧問、東京商業会議所特別会員となった。1900年(明治33年)、貴族院議員に勅選され[2]、1901年(明治34年)には法学博士の学位を授与された[3]。


日本の近代法の基礎を築いた先駆者の一人で、著書に『刑法義解』『民事訴訟法論綱』など。帝国大学や明治法律学校(明治大学法学部)の講師、法典調査委員なども務めた。


栄典
・1896年(明治29年)11月20日 - 正五位[4]
・1903年(明治36年)5月21日 - 銀杯一組[5]


脚注
1. 『官報』第1685号、大正7年3月18日
2. 『官報』第5174号、明治33年9月28日
3. 『官報』第5399号、明治34年7月3日
4. 『官報』第4021号「叙任及辞令」1896年11月21日。
5. 『官報』第5964号「叙任及辞令」1903年5月22日。


参考文献
・『立身致富信用公録 第五編』 国鏡社、1902年。
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3176.html

2959 麒麟麦酒開源記念碑(神奈川県横浜市中区千代崎町1・キリン公園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3271.html

3047 福鎌芳隆墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7194.html
6193 高木逸雄墓(台東区谷中・谷中霊園)


 高木豊三