酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6189 上塚 司墓(台東区谷中・谷中霊園)

上塚 司 ( うえつか - つかさ、1890年 5月 - 1978年 10月 22日 ) は、日本の政治家。衆議院議員 ( 7期 )。正五位。


経歴
・1890年 - 熊本県下益城郡城南町出身
・熊本商業学校 ( 現・熊本県立熊本商業高等学校 ) 卒業
・1912年 - 神戸高等商業学校 ( 現・神戸大学 ) 卒業、南満州鉄道入社
・1920年 - 第 14回衆議院議員総選挙熊本5区当選 ( 立憲政友会 )
・1924年 5月 - 第 15回衆議院議員総選挙落選
 ・6月 - 高橋是清農商務大臣秘書官
・1927年 - 高橋是清大蔵大臣秘書官
・1928年 - 第 16回衆議院議員総選挙熊本 2区当選
・1930年 1月 - 第 17回衆議院議員総選挙落選
 ・4月 - 国士舘高等拓殖学校校長
・1932年 2月 - 第 18回衆議院議員総選挙当選
 ・6月 - 齋藤内閣大蔵参与官
・1936年 - 第 19回衆議院議員総選挙当選
・1942年 - 第 21回衆議院議員総選挙落選 ( 無所属 )
・1946年 - 第 22回衆議院議員総選挙当選 ( 日本自由党 )、第 1次吉田内閣大蔵政務次官
・1951年 - 熊本県知事選挙に出馬し、現職の桜井三郎に敗れる
・1952年 - 第 25回衆議院議員総選挙熊本 2区当選 ( 自由党 )
・1953年 4月 - 第 26回衆議院議員総選挙当選
 ・5月 - 衆議院外務委員長
・1954年 - 外務委員長として、日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法案を委員長決裁で可決
・1955年 第 27回衆議院議員総選挙で落選し、政界引退
 ・6月 - ブラジル政府より南十字星大勲位章受章
・1965年 - 勲二等瑞宝章受章
・1977年 - 城南町名誉町民
・1978年 - 死去 「永昌院徳寿天園居士」。


著書
・『揚子江を中心として』(織田書店、1925年)
・『理想的農業國デンマーク土産』(泰文館書店、1929年)
・「特別通信:ブラジル、アマゾーナス新植民地」(凌霜(凌霜会) 41号(1931年1月30日))
・『世界資源地としてのアマゾン [講演]』(資源科學諸學會聯盟、1941年)
・『是清翁一代記 / 高橋是清口述 ; 上塚司著作』(朝日新聞社、1929-1930年)


家族
・妻-鈴(陸軍少将・第25代歩兵第13連隊長勝尾信彦の妹)
・従兄-上塚周平


脚注
1. 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、33頁。


参考文献
・『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年11月)
・武田知己「上塚司」『近現代日本人物史料情報辞典』第3巻(吉川弘文館、2007)
・石井光次郎他「アマゾン開拓の父 上塚司君逝く」(凌霜(凌霜会) 262号(1979年2月1日))石井光次郎は上塚司の神戸高等商業学校時代の同期生である。
・『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』(2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ、84頁)


外部リンク
・国立国会図書館 憲政資料室 上塚司旧蔵文書(寄託)
・国立国会図書館 上塚司のアマゾン開拓構想 ブラジル移民の100年
(wikiより)