酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6186 二階 盛墓(台東区谷中・谷中霊園)

二階盛 ( にかい - さかり ) 明治 44年 ~ 平成 17年 7月 31日 ( 1911 - 2005 )


日本初の超高層ビル「霞が関ビル」を作った人。父、二階功。


早稲田大学理工学部建築学科卒業。


戦前は警視庁に勤務。


南方戦線に出征したが、生き延び復員。


30代半ばになって鹿島建設に入社。


50歳のとき「霞が関ビル」プロジェクトが発足。


新しい発想の必要を感じ、35歳以下の技術者を 150人ほど集めた俗称「二階学校」を構成した。


ニューヨーク マンハッタンを視察し、また、関東大震災で倒壊しなかった寛永寺の五重塔を調査し、柔構造のビルとすることにした。


NHKの「プロジェクトX 挑戦者たち 熱き心、炎のごとく 霞が関ビル 超高層への果てなき闘い / 地震列島 日本の革命技術」の主人公。


勲三等旭日中綬章。95歳没。


戒名 : 「建徳院秀山盛烈居士」。


● 霞が関ビル
霞が関ビルディング(かすみがせきビルディング、略称:霞が関ビル)は、東京都千代田区霞が関三丁目にある地上36階、地下3階、地上高147mの超高層ビル(オフィス・商業複合施設)。所有者は三井不動産。


概要

 霞が関ビルディング遠景



一般に日本最初の超高層ビルとして知られている[3]。設計は山下寿郎設計事務所、施工は三井建設と鹿島建設による共同企業体(JV)、事業主体は三井不動産である。


東京倶楽部が経営していた旧・東京倶楽部ビル跡と霞会館(旧・華族会館)の敷地に建設され、1965年(昭和40年)3月18日に起工、1967年(昭和42年)4月18日に上棟し、1968年(昭和43年)4月12日にオープンした。耐震設計として鋼材を組み上げた柔構造を採用している。


当時の建築基準法により、31mという高さ制限(いわゆる百尺規制)があったため、当初は9階建てのビルの計画であったが、都市計画法改正(1961年)により導入された特定街区制度を利用して、超高層ビルへ計画変更された経緯がある。日本においてはじめての高層ビルの建設のため苦労も多く、そのエピソードはNHKのテレビ番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』[4]でも取り上げられた。竣工当時、13階は縁起の悪い数字のため、テナントではなくビル内の空調機器をまとめて配置する機械室として用いられた。非常階段は中央共用部に設置され、火災時の煙が溜まらない構造となっていたが、停電時に自分の位置が分からなくなる可能性があり、また煙の滞留性にも不安が残ったため、後年の京王プラザホテルや新宿三井ビルディングでは非常階段の一部を外部に剥き出しにする構造が採られている[5]。最上階の36階に展望台があり賑わいをみせていたが、その後オフィスに改装された。現在は、35階に東海大学校友会館が入居して、レストラン、宴会場、会議場を運営しており(卒業生などに限らず、一般も利用可能)、このフロアが一般客が利用できる最上階となっている[6]。


ビルの総容積は約50万立方メートル(総重量約10万トン)あり、東京ドームが竣工する前は莫大な体積を表現する際に「霞が関ビル何杯分」という表現がよく使われていた。現在でも、Googleで「東京ドームを霞ヶ関ビルで」と検索すると、「1東京ドーム = 2.48 霞ヶ関ビル」と換算が表示される。


2003年には、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定。


竣工から40年以上が経過したため、継続的にIT化など設備のリニューアルをしたり、テナントを入れ替えたりしてビルの資産価値を減らさない努力を行っている。特に、2001年からの霞が関三丁目エリアの再開発(「霞が関コモンゲート」)にともなって、隣接する霞が関ビルでも低層部の増築や改装などが行われ、ビル単体に止まらず地域全体の付加価値の向上が図られている。この再開発計画によって建設された、霞が関コモンゲート西館(175.78m)及び東館(156.67m)は、霞が関ビルの高さを上回っている。


主な入居企業など
・霞会館
・東海大学校友会館
・新日本有限責任監査法人霞が関オフィス
・みらいコンサルティング
・伊藤忠テクノソリューションズ霞が関オフィス
・LIXILグループ本社
 ・LIXIL本社
・アジア開発銀行駐日代表事務所・アジア開発銀行研究所


その他
・ビル内のテナント勤務者参加型の情報誌「リエゾン」を発行している。
・ビル専用の郵便番号「100-60xx」が設定されている(末尾2桁は階数を示す、地階および階数不明の場合は100-6090)。


脚注
1. エレベータ・エスカレータ(建物ご利用案内) - 霞が関ビル(三井不動産、2013年3月1日閲覧)
2. “霞が関ビル点灯”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1968年4月19日)
3. 超高層建築物には種々の定義があり、ホテルニューオータニ(1962年竣工、17階、73m)やホテルエンパイア(1965年竣工、21階、68m(尖塔高93m)を日本最初の超高層ビルとする説もある。
4. プロジェクトX 挑戦者たち 霞が関ビル 超高層への果てなき闘い〜地震列島 日本の革命技術〜 2001年5月15日放送 - NHKアーカイブス
5. 池田武邦「聞き書きシリーズ 超高層から茅葺きへ 第54回」2009年7月7日付『西日本新聞』朝刊6面
6. 東海大学校友会館


関連項目
・霞が関地区の超高層ビル
 ・中央合同庁舎第5号館
 ・大同生命霞が関ビル
 ・中央合同庁舎第2号館
 ・霞が関コモンゲート
・映画『怪獣総進撃』 - 劇中で破壊される描写がある。
・武藤清(建築家、当時鹿島建設副社長)
・江戸英雄(当時三井不動産会長)
・特定街区
・全日本空輸(ANA) - かつて同ビルに本社を設けていた。
・昭和シェル石油 - かつて同ビルに本社を設けていた。
・エフエム東京 - かつて同ビルに本社を設けていた。
・超高層のあけぼの - ビル建設を描いた映画作品。
・丸の内ビルディング - 通称丸ビル。霞が関ビル完成以前の日本を代表する高層ビルで、やはり「丸ビル○杯」という表現に用いられた。


外部リンク
・霞が関ビル(公式サイト)
(wikiより)