酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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6185 尾竹越堂墓(台東区谷中・谷中霊園)

釈迦も笑わせる」という句が刻してあります。


尾竹国観の墓は、多摩霊園にあるらしいそうです。「後素院越堂雪庵居士」。


● 尾竹越堂
尾竹 越堂(OTAKE Etsudô、おたけ えつどう、慶応4年1月28日〈1868年2月21日〉 - 昭和6年〈1931年〉12月3日)とは、明治から昭和期にかけての浮世絵師・日本画家。


経歴

 「東京十二月之内三月 向島春景」 尾竹国一画。



画号を国一、国弌、観月(大阪時代)とも称す。紺屋を営む尾竹倉松の長男として慶応4年1月28日(1868年2月21日)、越後国白根町(現在の新潟県新潟市)に生まれる。本名熊太郎。幼少のとき東京に出て四代目歌川国政に浮世絵を学んだと伝わる。明治18年(1885年)ごろから国雪と号して『新潟新聞』に挿絵を描き、明治22年(1889年)に富山に移ると、売薬版画、新聞挿絵、絵馬、押絵の下絵などを描いた。明治23年(1890年)に富山越前町に住み、後に総曲輪町、山王町に移った。売薬版画の役者絵、歴史絵を多数描いたほか、明治23年9月23日より富山日報における小説挿絵を担当、明治32年(1899年)まで描いていた。


明治32年に富山を離れ、大阪を経て後に再び東京(下谷区下根岸)へ移る。明治40年(1907年)、伊藤博文の命名により越堂と号する。引き札などの下絵制作に携わる。大阪美術会委員、大阪図案意匠絵画会図案部審査員などをつとめる。明治27年(1894年)富山共進会で銅賞、明治33年(1900年)大阪画会で銀賞を受賞。また日本美術院の新画風を学び、巽画会にも会員として加わった。明治44年(1911年)、第5回文展に「韓信」が入選。大正2年(1913年)1月より本格的に東京に居を移すと、兄弟3名で八華会を結成。根岸に住み、実弟竹坡、国観らとともに尾竹三兄弟として活躍した。文展でも大正3年(1914年)第8回展に「さつき頃」(二曲一双)、大正4年(1915年)第9回展に「湖」(六曲一双)、大正5年(1916年)第10回展に「漁樵問答」(六曲一双)と連年大作を発表し入選を重ねた。


昭和6年(1931年)12月3日歿(63歳)。弟子に金森観陽、水上如観がいる。陶芸家の富本憲吉の妻となる『青鞜』同人の尾竹一枝(紅吉)は娘、その妹の福美の夫は画家の安宅安五郎、一枝の息子で映画監督の富本壮吉は孫である。 2007年、越堂が美術誌『Bien(美庵)』(Vol.43、2月25日号)の巻頭特集「きみは、尾竹三兄弟を知っているか?」に尾竹三兄弟の次兄として紹介されると、国際浮世絵学会の機関誌や三兄弟の地元の『新潟日報』、『北日本新聞』でもこの『Bien(美庵)』の特集を評価し、全国に潜在していたファン、コレクター、研究家、美術館、骨董商から熱いエールと全国規模の回顧展を望む声が上がり、盛り上りを見せている。なお比較的メジャーな出版物や展覧会、専門書などでも「尾竹」の読みを「おだけ」(Odake)と堂々と記しているものが多いが、これは明らかな誤りで正しくは「おたけ」(Otake)である。


作品
 売薬版画
・「市川団十郎の伴左ヱ門と中村福助の名古屋山三」 大判 明治中期 高見清平版 富山市売薬資料館所蔵
・「役者見立壇浦兜軍記 阿古屋琴セメの段」 大判2枚続 明治24年 小泉重兵衛版 富山市売薬資料館所蔵  ※落款の下に歌川派を示す年玉の印あり
・「勧進帳」 大判 明治中期 小西美精堂版 富山市売薬資料館所蔵
・「大閤出世鏡 三州やはき橋之段」  大短冊版 明治24年 小泉重兵衛版 富山市売薬資料館所蔵
・「旅順口攻撃浅川大尉奮戦図」 大判 明治28年 中川吉右衛門版 富山市売薬資料館所蔵
・「福神宝の入船」  細判 明治中期 高見清平版 富山市売薬資料館所蔵


 肉筆画
・「韓信忍辱(にんにく)図」 絹本着色  象牙軸 桃投伸二コレクション
・「漁樵問答」 絹本着色 六曲一双 大正5年 個人蔵 第10回文展出品作
・「桃太郎」 絹本着色 大正11年 新潟県立近代美術館所蔵
・「寒山拾得図」 絹本着色 双幅 個人蔵
・「普賢菩薩図」 絹本着色  個人蔵


参考文献
・尾竹親 『尾竹竹坡傳 その反骨と挫折』 東京出版センター、1968年
・日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』第2巻 大修館書店、1982年
・尾竹俊亮 『闇に立つ日本画家 尾竹国観伝』 まろうど社、1995年
・美術誌『Bien(美庵)』Vol.43(2007年春号、藝術出版社) 特集「きみは、尾竹三兄弟を知っているか?」 瀬木慎一/福富太郎/坂森幹浩/尾竹俊亮/渡邊澄子/窪田美鈴/桃投伸二/結城庵 公式サイト


評価
美術誌『Bien(美庵)』Vol.43(2007年2月25日号、藝術出版社)の巻頭特集「きみは、尾竹三兄弟を知っているか?」にて、尾竹三兄弟の次兄として紹介された。国際浮世絵学会の機関誌「浮世絵芸術」、三兄弟の地元の『新潟日報』や『北日本新聞』でも『Bien(美庵)』の特集を評価。全国に潜在していたファン、コレクター、研究家、美術館、骨董商から熱いエールと全国規模の回顧展を望む声が上がり、現在につながる尾竹ブームのきっかけとなった。


関連項目
・浮世絵
・浮世絵師一覧
・富山絵
(wikiより)