酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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6153 幕内・吉の谷(吉谷家)墓(墨田区両国2-8-10・両国回向院内)

吉の谷 彰俊 ( よしのたに あきとし、1949年 4月 23日 - 2000年 1月 14日 ) は、大相撲の元力士である。


長崎県南松浦郡三井楽町 ( 現・五島市 ) 出身、出羽海部屋所属。本名は吉谷 作利。


最高位は西前頭 4枚目 ( 1974年 9月場所 )。


現役時代の体格は 175cm、104kg。得意手は足取り、右四つ、下手投げ。


来歴
五島列島の福江島出身。


同郷の横綱・佐田の山に憧れて出羽海部屋に入門。


1965年 5月場所本名の吉谷で初土俵を踏んだ。


三段目で 3年半ほど苦労し、途中「宇戸の山」と改名したが 1年ほどで本名に「の」の字を挟んだ吉の谷と四股名を改め、1970年 5月場所で三段目優勝して翌場所幕下に、1972年 5月場所十両昇進、1974年 1月場所念願の入幕を果たした。


同部屋の弟弟子で同じ小兵だった鷲羽山 ( 現・出羽海 ) とは十両・幕内がほぼ同時期の昇進と出世を競った。


小さい体ながら全身闘志の塊というほどに気合いの入った相撲を見せた。


右を差して食い下がり、投げや捻りを見せて粘る取り口だったが、なんといっても十八番だったものが足取りで、1970年代の角界で「足取りといえば吉の谷」と言われるほどだった。


手取り型の力士で入幕5場所目で自己最高位の前頭4枚目に進むほど技量はあったが、右肘を故障したこともあって幕内はわずか 7場所で陥落、以後は十両と幕下を往復する苦しい土俵生活を送った。


西十両 13枚目で迎えた 1978年 5月場所、5勝 7敗と 1敗もできない状況で 13日目の相手は鳴り物入りで角界入りした長岡 ( のちの大関朝潮、現・高砂 ) だった。


長岡はこの一番に幕下付出からの 14連勝・2場所連続幕下優勝での十両昇進をかけていたが、吉の谷は必殺の足取りからの寄り倒しで長岡を破り名を上げた ( なお、この一番は後にDVDマガジン「国技大相撲」に収録され、舞の海による解説がつけられている )。


この場所は残りを連勝して勝ち越して陥落を免れたが翌場所負け越して幕下へ陥落、1場所で返り咲いたものの再び負け越して、以後は 1982年5 月場所の引退まで幕下で取り続けた。


肘の故障を抱えながら引退まで 103場所、930番一度も休場することなく取りきった。


引退後は借株で年寄山科を襲名、名跡の保有者だった大錦の引退後は千賀ノ浦から入間川、竹縄、大鳴戸と名跡を変え、出羽海部屋付きの親方として後進の指導にあたった。


1998年5月場所後、同じ長崎出身の両国が中立部屋 ( 現・境川部屋 ) を興すとこれに同行した。


1999年夏頃に体調を崩し、緊急入院して治療を行っていたが、2000年 1月 14日、わずか 50歳の若さで没した。


主な成績
・幕内在位:7場所
・幕内成績:48勝 57敗 勝率.457
・通算成績:461勝 469敗 勝率.496
・各段優勝:十両 1回 ( 1973年 9月場所 )、幕下 2回 ( 1975年 11月場所、1976年 5月場所 )、三段目 1回 ( 1970年 5月場所 )
(wikiより)