酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6147 呼出先祖代々墓(墨田区両国2-8-10・両国回向院内)

昭和 34年 9月に建てられたもので、もとは昭和 6年 5月に一度建てられているが東京大空襲で破損してしまった。


さらに遡って大正 2年 10月に建てられた墓が元祖であるという。


通称を太鼓塚といって、5月場所後に法要が行われているという。由来は昭和 58年に建てられた副碑に記されている。


● 歴代呼出し各々之霊位
寛吉  =  飯田寛吉
賢市  =  田村賢市
善三郎 =  杉本善三郎
永男  =  福田永男
兼三  =  上田兼三
米吉  =  安藤米二
忠   =  上田忠
照夫  =  高栖照雄
一夫  =  溝口和年
政弘  =  佐藤正博
長八  =  川村憲司
三平  =  伊藤三平
幸太郎 =  多田幸太郎
康夫  =  新井培隆
勝巳  =  加藤克己
三郎  =  荒俣武雄
勲   =  佐々木勲
安雄  =  高沢安雄
秀雄  =  山本秀人
護   =  雑喉護
拓郎  =  花里拓郎
琴二  =  上江田勝二
次郎  =  西出和夫
克之  =  小山克之
志朗  =  嶋田義和
重夫  =  谷口卓美
吾郎  =  赤山正春
峰三  =  佐藤峰三
長太郎 =  澁谷長太郎
( 2012.06.14当時 )


● 呼出
呼出 ( よびだし ) とは、大相撲での取組の際に力士を呼び上げる「呼び上げ」や土俵整備から太鼓叩きなど、競技の進行を行う者。呼び出しとも書かれる。


行司と異なり特に受け継がれている名跡はないが、力士・行司と違い、下の名前しかないのが特徴である。


概要
呼出の元々の云われは上覧相撲の際に、次に土俵に上がる力士の出身地や四股名を披露する人がおり、「前行司」といって行司の役割に含まれる職種であった。


江戸時代以後に勧進相撲になり組織的な制度ができるにつれて独立した職種となった。


「触れ」とか「名乗り上げ」と呼ばれた時代もあったが、享和年間 ( 1801 ~ 1804年 ) になって「呼び出し」といわれるようになった ( しかし、それ以前の寛政年間 ( 1789 ~ 1801年 ) の番付に「呼び出し」の文字が確認されている )。


現在の呼出の定員は 45人、停年は 65歳。大相撲においては、力士、行司、床山と同様に各相撲部屋に所属する。


役割
呼出の主要な役割は、呼び上げ、土俵整備、太鼓叩きであるが、その他にも多種多彩な業務を行っている。


・呼び上げ
土俵上で扇子を広げて、独特の節回しにより東西の力士を呼び上げる。


初日から数えて奇数日は東方から先に、偶数日は西方から先に一声で呼び上げ、十両最後の取組および三役以上の力士の場合には二声で呼び上げる ( 優勝決定戦を除く )。


奇数日の場合、一声は「ひ~が~し~、琴~×~×~、に~し~、○~○~やま~」、二声は「ひ~が~し~、琴~×~×~、琴~×~×~、に~し~、○~○~やま~、○~○~やま~」となる。


・土俵整備
本場所・巡業・各部屋の土俵造り、取組の合間にほうきで土俵を掃き清める、乾燥する土俵への水打ち、力水・力紙・塩・タオルの補充と管理、全取組終了後に仕切り線を書くなど。


・太鼓叩き
触れ太鼓 ( 初日の取組を触れ歩きながら打つ太鼓 )、寄せ太鼓 ( 本場所の早朝に打つ太鼓 )、はね太鼓 ( 本場所の全取組の終了後に打つ太鼓 ) など。


触れ太鼓の口上は、「相撲は明日が初日じゃぞぇ~、琴~×~×~には、○~○~やま~じゃぞぇ~、ご油断では詰まりますぞぇ~」となる。


・拍子柝打ち
土俵入り、横綱土俵入り、土俵の進行などの合図など。


・懸賞金
懸賞幕をもって土俵を一周する、懸賞金を行司に渡すなど。


・力士の世話
座布団を交換する、時間制限を伝える、水桶の横にてタオルを渡すなど。


・審判委員、行司の世話
審判委員の座布団交換、ひざ掛けの世話、顔触れ言上の介助など。


・役員室、相撲部屋の雑務


呼出の階級
大相撲において、呼出の番付制が導入されたのは 1994年 ( 平成 6年 ) 7月場所からで、以下の 9階級となる。


それまでの階級は、1等から5等までの等級制であった。


それと同時に本場所における場内アナウンスでも紹介されるようになった。


現在は十両呼出以上の名前が番付に書かれており、それ以前は 1949年 ( 昭和 24年 ) 5月場所から 1959年 ( 昭和 34年 ) 11月場所までの 10年間、呼出が番付に掲載された ( 番付には「呼出し」と書かれた )。


初めて呼出として番付に掲載されたのは太郎、夘之助、栄次郎、源司、安次郎、栄吉、福一郎、小鉄 、徳太郎、茂太郎、粂吉、松之助、寅五郎、雄次、多賀之丞 、島吉の 16人。


現在の階級
9階級の役責に分類され、行司の階級と違い、幕内格、十枚目格といった「格」という名称は用いない。


・立呼出
・副立呼出
・三役呼出
・幕内呼出
・十枚目呼出
・幕下呼出
・三段目呼出
・序二段呼出
・序ノ口呼出


力士・行司はすべての階級が番付に記載されるのに対し、呼出は十枚目呼出以上が番付表に記載されて幕下呼出以下は番付表に記載されないことになっている。


また、幕下格以下の行司と同様、幕下呼出以下は本場所の取組における場内アナウンスでの紹介は行われていない。


ただし、千秋楽の幕内土俵入りの前に行われる十枚目以下各段の優勝決定戦では、幕下格以下の行司・幕下呼出以下でも「呼出は○○、行司は木村 ( 式守 ) ○○、○○ ( 階級 ) 優勝決定戦であります」との場内アナウンスが行われる。


昇格規定
・三役呼出以上 ( 立呼出: 1人、副立呼出: 2人以内、三役: 4人以内 )
勤続40年以上で成績優秀な者、または勤続 30年以上 40年未満で特に優秀な者。


・幕内呼出 ( 8人以内 )
勤続30年以上で成績優秀な者、または勤続 15年以上 30年未満で特に優秀な者。


・十枚目呼出 ( 8人以内 )
勤続 15年以上で成績優秀な者、または勤続 10年以上 15年未満で特に優秀な者。


装束


呼出 ( 服装 ) の画像を参照のこと。


・着物 - 「紀文」( 紀文食品 )、「なとり」( なとり )、「スギヨ」など広告が入る場合がある。
・裁付袴 ( たっつけばかま )
・足袋
・扇子


呼出一覧
現役の呼出
2012年 6月現在


階級 名前 所属部屋
立呼出 秀男 伊勢ヶ濱 → 桐山 → 朝日山


副立呼出 拓郎 三保ヶ関


三役呼出 次郎 三保ヶ関
克之 放駒
志朗 押尾川 → 大 嶽


幕内呼出 重夫 九重
吾郎 押尾川 → 大嶽
幸吉 大鳴戸 → 桐山 → 友綱
旭 大島
隆二 宮城野
琴三 佐渡ヶ嶽
琴吉 佐渡ヶ嶽


十両呼出 大吉 東関
照喜 安治川 → 伊勢ヶ濱
幸司 桐山 → 朝日山
利樹之丞 高砂
光昭 鳴戸
邦夫 若松 → 高砂
松男 松ヶ根
弘行 峰崎
禄郎 押尾川 → 尾車
正男 花籠


幕下呼出 悟 荒磯 → 松ヶ根
太助 北の湖
重太郎 九重
和也 高田川
富士夫 安治川 → 伊勢ヶ濱


三段目呼出 啓輔 芝田山
陽平 出羽海
総一 二十山 → 北の湖
勝尚 間垣
護 時津風


序二段呼出 新太郎 湊
駿佑 玉ノ井
耕平 高島 → 春日山
悠斗 立浪
貴大 大嶽


序ノ口呼出 節男 錣山
直起 木瀬 → 北の湖
健人 高砂
竜 八角
慎 陸奥
竜平 境川
海人 九重


引退した主な呼出
明治・大正の名人
・多賀之丞



・太郎


立呼出
・寛吉
・兼三
・米吉
・康夫


副立呼出
・善三郎
・栄太呂
・三平


三役格
・永男 ( 2012年 4月 14日死去、享年 82 )
・政弘
・長八
・勝己
・琴二


幕内格
・幸太郎
・安伍朗


十両格
・勲
・秀行


幕下格
三段目格
・友太郎
・進介


序二段格
・祥吉
・鶴吉
・太郎太
・扇太郎 ( 2008年 6月 19日死去、享年 25 )


序ノ口格
・英二、正平、大輔、直樹
・信男、春樹、敏行、一朗
・卓也、圭祐、孝、玉吉
・栄次郎、一郎、誠一、謙一
・清吉、隆一、春輝、和歌吉
・風人、慎平、琴朗、友也
・三豊、友輔、陸、誠佑


呼出し太郎伝
1888年、本所南二葉町 ( 現在の墨田区亀沢 ) の俥屋の長男に生まれた。


本名:戸口貞次郎。すぐ隣が大関初代・朝汐太郎の家だったこともあり、相撲の盛んな町に育った。


その朝汐の口利きで 1898年、11歳のとき呼出親分の勘太郎の弟子となり、朝汐にあやかって「太郎」の名をもらう。


入門 5年目に小結・源氏山頼五郎以下 40余名の脱走事件があり、そのとき太郎も一緒に飛び出している。


これが苦労の始まりで、いろいろ地方を渡り歩く長い放浪時代もあり、無謀なことも数々やったが、やがて大坂相撲に縁ができ、呼出として再起。


大坂相撲の呼出は満足に太鼓を叩ける者がおらず、太郎はにわかに頭角を現すこととなる。


ここで行司の木村金八 ( 後の木村錦太夫、22代・木村庄之助 ) と知り合い意気投合、生涯の交遊が始まる。


大坂相撲時代、巡業先で太鼓を質に入れたため、宿でカラの醤油樽を借りて叩いたが、仲間の内誰も気がつかなかったという。


その後、昭和時代の幕開けとともに、東京と合併。


太郎は大坂の呼出を全員東京に売り込んで男を上げた。


親分の下地はそのときからで、太鼓も東京の呼出の誰にも負けなかったという。


停年退職した 1960年まで 63年間を貫き、「太鼓の名人」「相撲界の名物男」「呼出の親分」として知られた。


また両国の自宅を長年相撲記者クラブに解放し世話係を務め ( 停年後も続けていた )、確固たる地位を築いた。


この頃はもう櫓に上がることはなかったが、花相撲のおりの「太鼓の打ち分け」はまさに圧巻、独壇場の名人芸だったという。


1952年 1月に行われた巣鴨拘置所、A級戦犯慰問大相撲で「太鼓の打ち分け」を披露し、荒木貞夫、鈴木貞一、畑俊六ら 10人の旧日本軍の重鎮、軍閥の連名からなる礼状が届けられた。


所属が角界一の大部屋出羽海部屋ということも幸いし、出羽海 ( 元横綱常ノ花 )、春日野 ( 元横綱栃木山 ) の両取締とは気軽に口の聞ける立場にあった。


16人の呼出の名前が初めて載った 1949年 5月場所前、太郎は協会で取締に「呼出も番付の隅っこに名前を載っけて欲しい」と請願したのがきっかけで、世話人とともに番付に記載されることになった。


これは 1959年 11月場所、太郎が停年退職する直前まで 10年間続いた。


1969年 11月 3日、秋の叙勲で勲六等単光旭日章を受章。


相撲界では初めて生存者叙勲の光栄に浴した。


1970年 1月 8日には武藏川理事長、春日野審判部長をはじめ 180人が出席し祝賀会が挙行された。


席上、高橋義孝横綱審議委員は「醤油樽叩いてもらう勲六等」の句を披露し祝福した。


1971年 3月 3日、83歳で逝去。


エピソード
1911年 ( 明治 44年 ) 2月場所 2日目、大関 2代・西ノ海 - 小結鳳戦は行司の軍配は鳳に挙がったが、呼出の金次郎はこの相撲に物言いがついたとは知らず、「ニィーシ、千年川、ヒガーシ、常陸山」と美声を張り上げたが、勝負検査役に注意されてすごすごと引き下がった。


戦後から 1960年代前半に、館内の隅々までよく通る美声の呼び上げで名を馳せた小鉄が、昔旅の汽車の中である横綱からミカンをもらい無理矢理食べたところ、途端に声が出なくなり、後の巡業に差し支えたことがあったという。東京本場所の時取材のため、宿を取っていた小島貞二が小鉄を招き入れミカンを出したところ「とんでもない!」と言って小鉄は見えないところにミカンを隠したという。


小島はタバコとミカンが好物で、タバコの煙は悪いと知っていたつもりが、まさかミカンが悪いとまでは知らなかったという。


小鉄はその後、1961年 ( 昭和 36年 ) 1月に定年を迎え引退となるが、本人やファンの希望で“現役”を 2年延長され、1963年 ( 昭和 38年 ) 1月場所千秋楽 ( 1月 27日 ) が最後の勇姿となった。
(wikiより)