酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6145 美幾女の墓(文京区白山2-9-12・念速寺)

特志解剖第一号 美幾女 ( みきじょ ) の墓 ( ~ 1869 )


美幾女 ( みきじょ ) は、病重く死を予期して、死後の屍体解剖の勧めに応じ、明治 2年 ( 1869 ) 8月 12日、34歳で没した。


死後、直ちに解剖が行われ、美幾女の志は達せられた。


当時の社会通念、道徳観などから、自ら屍体を提供することの難しい時代にあって、美幾女の志は、特志解剖第一号として、わが国の医学研究の進展に大きな貢献をした。


墓石の裏面には、"わが国病屍解剖の始めその志を嘉賞する"と、美幾女の解剖に当たった当時の医学校教官の銘が刻まれている。
(案内板より)


美幾女は、駒込追分の彦四郎の娘で、10歳で本郷の旧家に奉公していたが、父のけがで遊女になったといわれている。


彼女は病死を予期し、自らの意志で死後解剖のために提供する特志解剖のすすめに応じ、父母・兄連署のうえ、東京府に提出した。


その後、明治 2年 ( 1869 ) 8月 34歳で没した。


わが国最初の病死体の解剖は、旧下谷和泉町の医学校の仮小屋で行われた。


吉村昭の小説「梅の刺青」には美幾女の解剖を題材にしたくだりで、解剖執刀者を田口和美として描いていて、その中の一節には・・・『美幾女の腕には梅の折枝と愛しい人の名が彫られた短冊の刺青があったという。』