酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6883 三条西季知墓(台東区谷中・谷中霊園)

三条西 季知(さんじょうにし すえとも)は、江戸時代後期から明治期の公卿。


安政5年(1858年)、権中納言となり重んじられるが、文久3年(1863年)公武合体派の策略により、三条実美らと長州へ下向、いわゆる七卿落ちの一人となる。その後さらに大宰府まで走り、やがて王政復古の大号令によって赦され、権大納言に復し帰洛。明治元年(1868年)には皇太后宮権大夫となった。


明治維新後、参与、教部省教導職の長官である大教正兼神宮祭主となった。


三条西家の当主だけあって歌道の宗匠として知られ、西四辻公業とともに明治天皇の歌道師範となった。季知自身は三条西家分家当主の高松公祐に師事した。


また、三条西家は香道の宗匠家としても知られ、季知自身も公家文化を担うこの時代の文化人の一人であった。
(wikiより)


関連情報
https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6800.html

6884 三条西公允墓(台東区谷中・谷中霊園)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6801.html
6885 三条西信子墓(台東区谷中・谷中霊園)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6803.html

6887 三条西公正墓(台東区谷中・谷中霊園)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6802.html
6834 三条西実義墓(台東区谷中・谷中霊園)


 三条西季知