酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6869 新荘吉生墓(台東区谷中・谷中霊園)

新荘吉生 ( しんじょう - よしお )
明治 6年 6月 9日 ~ 大正 10年 3月 11日 ( 1873 - 1921 )


日本で初めてタングステン電球を製造。


父、岩国藩士・新荘軍平 ( 四男 )。山口県岩国出身。


明治 31年 ( 1898 ) 浦和中学校教諭。のち東京電灯に入社。


その後改名した藤岡市助社長の東京電気 ( 東芝 ) の技師長となる。


電球が安い輸入品におされ経営が苦しいため藤岡市助・藩主・吉切子爵・佐竹作太郎らの戦略で電球を研究するため米国ゼネラル電気会社に派遣される。


明治 38年 ( 1905 ) 帰国してゼネラル電気と提携し電球製造に従事。東京電気は危機を脱する。


明治 41年 ( 1908 ) タングステン電球製造について研究するために、再度欧米に渡航。


我が国で初めてタングステン電球を作る。


東京電球・帝国電球・大阪電球・三保舎各取締役。従六位。49歳没。


 東芝川崎事業所の敷地を多摩川方面に進むと、鉄索の合間からは新荘吉生・藤岡市助・山口喜三郎の三人の銅像が順に見える。