酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4840 二代目・吾妻藤蔵墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

二代目・吾妻藤蔵(あずま - とうぞう)
享保9年~安永6年(1724 - 1776)


江戸の歌舞伎俳優・吾妻屋二世。


江戸出身。幼名、中村清之助。


父、中村清七(次男)。俳名、園子・園枝。通称、こぶ籐蔵。前名、生島大吉(2代)。


父、没後8代目市村羽左衛門の門人(のち生島大気地の門人)となり坂東橘作と改めたが、すぐに伯父の初代の名を継ぎ、2代吾妻籐蔵を名乗る。


享保15年(1730)江戸市村座に子役として勤める。


元文の末、若衆方を勤める。のち、生島大吉の門人となり若女方となり、寛延元年(1748)市村座で2代目生島大吉を襲名するが再び吾妻籐蔵に戻る。
以後、名を変えては戻すことをした。


明和2年(1765)森田座の立女方となる。


当たり役は、「女鳴神」、「白妙」、「京の小女郎」など。舞踏吾妻流の祖といわれる。没年は墓誌に従った。「丹敬院常心日持」。


吾妻籐蔵(あずまとうぞう)・3代 宝暦6年~寛政10年6月19日(1758-1798)


江戸の歌舞伎俳優。若女方。江戸出身。父、中村清七。俳名、園花のち園枝。


2代目藤蔵の門を経て9代目市村羽左衛門に入門。


初名、吾妻富五郎。振付名、生島大吉。


安永8年(1779)3代目・吾妻籐蔵を襲名。


寛政元年(1789)から関西で活躍し、大阪で没する。43歳。


当たり役は、「琴責の阿古屋」、「桂川のお石」、「浅妻船」など。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5328.html
4839 初代・吾妻藤蔵墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5330.html

4841 吾妻徳穂墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)