酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5078 宝生新朔墓(荒川区東日暮里5-41-14・善性寺)

宝生新朔(むろう - しんさく)    
?~明治31年3月11日(? - 1898)


能楽師・宝生家8世。


能楽における脇方の流儀一つワキ方下掛宝生流(ほうしょうりゅう)。


門下に池内信嘉などがいる。63歳没。


墓の正面「宝生家之墓」。墓誌なし。











5077 尾関隼人墓(荒川区東日暮里5-41-14・善性寺)

尾関隼人(おぜき - はやと) / 尾関当補     
安永8年8月3日~文政12年7月29日(1779 - 1829)


館林藩家老・尾関隼人当遵の父。


名、当補。通称、隼人。


父、尾関当官(長男)。母、根岸氏。正室、内藤氏。


代々松平家に仕え、上州館林に住む。


18歳のとき番師として仕え、上番を歴任。のち攝庭守。


文政5年(1822)700石となる。のち1200石を賜る。


 尾関隼人(1802-1868): 名は当遵(まさゆき)。通称は、父と同じ隼人。


館林から転封となった石見藩家老。


藩主松平武聡が病弱で、代わって鳥羽伏見の役で幕府側としての出兵を指揮し大敗。


藩自体の処分を受けるところ、明治元年4月19日京都本圀寺で責任を取り自刃し謝罪して藩は赦される。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/139.html
135 本圀寺題目石碑(堀川警察署横)











5076 長谷川正三墓(荒川区東日暮里5-41-14・善性寺)

長谷川正三(はせがわ - しょうぞう)     
大正7年9月19日~平成13年7月7日(1918 - 2001)


長谷川香料(株)代表取締役会長。


父、長谷川藤太郎(三男)。在学時に長谷川藤太郎商店を継ぐ。


昭和30年(1955)12月紺綬褒章受章。


昭和36年(1961)長谷川香料を設立。事業の発展に尽くす。


昭和55年(1980)藍綬褒章受章。


昭和63年(1988)勲四等瑞宝章受章。


平成13年(2001)従五位に叙する。


肺炎のため港区内の病院にて没する。82歳。


戒名 : 「寿量院悟道日正大居士」。