酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

1265 胡録神社(荒川区南千住8-11-11・胡録神社)

胡録神社御由緒
當社は 永禄四年八月四百年前 川中島合戦の折 上杉の家臣・高田嘉左衛門 ( たかだかさえもん ) なるもの戦 ( いくさ ) に敗れ、計 ( はか ) らずも集りたる十二名の同志と関東に厄 ( えき ) 難を のがれて落ちのび當地の汐入に竹内、杉本、杉山等数名と永住の地と定めて土着し 村落生活の安寧を祈願するため守護神 ( しゅごしん ) として享保四年九月十九日今より弐百五十余年前 面足尊と惶根尊の両神を一祠に奉齋 ( ほうさい ) 崇敬 ( すうけい ) されたと伝えられる。
       
當社は古くは大六天と稱したが 明治二年太政官達により神佛分離がされた際 往時武士が矢を支える武具を胡録と申した事とまた當地汐入特業として盛んであった胡粉 ( ごふん ) 作の胡の字と大六天の六にあやかり御社号を胡録神社と改稱された


神殿は嘉永五年九月十九日改築造営されたるものであるが現在の拝殿の改築並に神楽殿社務所の新築造営工事は昭和貮年六月に竣工された

明治百年を奉祝いたし記念碑を建立する
(碑文より)


境内末社
道祖神 ( どうそじん ) は、猿田彦命 ( さるたひこのみこと ) を祀 ( まつ ) り、人々此の汐入 ( しおいり ) の村より出るには航路の安全を願い、入るには無事を感謝し、常に安全を守護 ( しゅご ) する神として尊崇 ( そんすう ) し、奉賽 ( ほうさい ) の状 ( さま ) を捧げるに草履 ( ぞうり ) を供えて祈願す。
           
猿田彦命 ( さるたひこのみこと ) は、天孫降臨 ( てんまごこうりん ) の折り、天八衢 ( あめのやちまた ) に道案内をされた。


境 ( さかい ) の神とも云われ、禍悪 ( わざわい ) を里の中に入れないように里との境に祀 ( まつ ) られ、延喜式祝詞 ( えんぎしきのりと ) には、「八衢彦 ( やちまたひこ )、八衢姫 ( やちまたひめ )、岐 ( ふなど ) の神に、根の國 ( ねのくに ) 底の國 ( そこのくに ) より荒 ( すさ ) び疎 ( うと ) び来 ( こ ) む物に相混 ( あいま ) じり相口会 ( あいくちあ ) う事無くして・・・・」とあり四方八方 ( よもやも ) よりの禍を祓 ( はら ) い除ける祈願が記されている。


刀塚 ( かたなつか )
高田嘉左衛門は慶長五年 ( 1600 ) 五月関ヶ原より落ちて、「自ら刀を抜いて人は斬ってはならぬ」と鎧兜 ( よろいかぶと ) を地下深く埋めた。


昭和 34年 9月町の有志が集い汐入の開拓を永久に、伝えるべく埋地と伝承される南千住 8丁目 1の 40番地付近に祀った。


平成 12年 4月再開発の為、関係者総意により境内に遷され刀塚として祀る。










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1264 木戸孝允別邸跡(豊島区駒込1-10-14)

明治の元勲木戸孝允の別邸跡。「明治天皇行幸所木戸舊邸」の石碑が残る。


木戸孝允 ( 天保 4 - 明治 10 )
幕末期は桂小五郎と称し吉田松陰の門下生となり高杉晋作らと薩長同盟・討幕運動に参加、幕府の刺客より運良く逃げ去る事から「逃げの小五郎」と称され、西郷隆盛・大久保利通とともに維新の三傑と呼ばれる。


維新政府成立後、五箇条の誓文を起草、政府の参議に登用され征韓論争では内治優先を主張し西郷と対立。


西南戦争のさなか病死。45歳没。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/889.html
817 木戸孝允旧宅(萩大字呉服町2)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2918.html

2634 桂小五郎潜居跡(兵庫県豊岡市出石町田結庄)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3528.html

3279 桂小五郎の像(中京区河原町通御池上ル)










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muragonさんて・・・ PART-2

きょうどうしたんでしょう?


「ぽちっ」をしに記事を回っていると・・

・・

なんだか、muragonさんに対しての怒りの記事が増えていますね ( 謎 )


どうしたんです muragonさん?


こないだは、『ちんぽモロ出し』画像が出たりして・・・


以前のmuragonさんでは無くなってしまったのですか?


謎ですねぇ 


小生のカウンターも昨日から急効果中ですね 解かります ( 爆笑 )


「村」のアイコン外すのめんどいから、そのままにしてるけど ( 笑 )