酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

1264 木戸孝允別邸跡(豊島区駒込1-10-14)

明治の元勲木戸孝允の別邸跡。「明治天皇行幸所木戸舊邸」の石碑が残る。


木戸孝允 ( 天保 4 - 明治 10 )
幕末期は桂小五郎と称し吉田松陰の門下生となり高杉晋作らと薩長同盟・討幕運動に参加、幕府の刺客より運良く逃げ去る事から「逃げの小五郎」と称され、西郷隆盛・大久保利通とともに維新の三傑と呼ばれる。


維新政府成立後、五箇条の誓文を起草、政府の参議に登用され征韓論争では内治優先を主張し西郷と対立。


西南戦争のさなか病死。45歳没。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/889.html
817 木戸孝允旧宅(萩大字呉服町2)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2918.html

2634 桂小五郎潜居跡(兵庫県豊岡市出石町田結庄)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3528.html

3279 桂小五郎の像(中京区河原町通御池上ル)










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muragonさんて・・・ PART-2

きょうどうしたんでしょう?


「ぽちっ」をしに記事を回っていると・・

・・

なんだか、muragonさんに対しての怒りの記事が増えていますね ( 謎 )


どうしたんです muragonさん?


こないだは、『ちんぽモロ出し』画像が出たりして・・・


以前のmuragonさんでは無くなってしまったのですか?


謎ですねぇ 


小生のカウンターも昨日から急効果中ですね 解かります ( 爆笑 )


「村」のアイコン外すのめんどいから、そのままにしてるけど ( 笑 )




1263 長命寺の長命水(墨田区向島5-4-4・長命寺)

長命寺(ちょうめいじ)は、東京都墨田区にある天台宗の寺院。山号は宝寿山。院号は遍照院。本尊は阿弥陀如来。隅田川七福神のうち弁財天を安置している。「長命寺桜もち」で知られる。


由緒
この寺の創建年代等については不詳であるが、平安時代円仁の開山により創建されたとも、慶長年間(1596年 - 1615年)に創建されたともいう。もとは宝樹山常泉寺と号していたが、江戸幕府3代将軍徳川家光の命により現名に改められたという。それは、家光の放鷹の途中で、軽い病気(微恙)になってここで休憩したので、僧孝海が加持のうえ境内の般若水で薬をすすめると、効験あって治癒した。家光は喜んでその井戸水を長命水と名付けて家康の画像を付して毎年供養料を給したという。


文化財

・区指定有形文化財

 ・松尾芭蕉「いざさらば」の句碑

・区指定有形民俗文化財

 ・庚申塔1659年建立)

・区指定史跡

 ・橘守部・橘冬照墓

・区指定無形民俗文化財

 ・隅田川七福神めぐり


月香楼

1888年明治21年)の夏、境内にあった桜もち月香楼の二階に、正岡子規が仮寓していたことがある。子規は三か月あまり滞在して、『七草集』を書いたが、その「蕣(あさがお)の巻」に含まれる子規唯一の作品に登場するシテの女のモデルが、月香楼の一人娘山本陸(やまもとろく)である。陸は当時15,6歳で、子規の思慕の対象として噂の種となった。[1]


所在地

東京都墨田区向島五丁目4番4号


門前

長命寺のある向島は、徳川吉宗ゆかりの桜の名所「墨堤の桜」を抱え、花見や隅田川花火大会でにぎわう。関東風の桜もち発祥の地とされる「長命寺桜もち」や、言問橋の名称の由来となったとの説もある「言問団子」が並ぶ。


脚注

『子規全集』第18巻175ページ


外部リンク

墨田区文化財

(wikiより)


本堂は安政二年の大地震で焼失、その後麻布の武家屋敷を移転して本堂とし、風流な造りは下町には珍しく、また、向島花街の風情に良く合い情緒を醸し出していましたが、それも関東大震災で焼失、古文書等も焼失しましたが、幸い本尊は難を逃れる事が出来ました。


昭和 20年の下町地域を壊滅させた大空襲の際には焼失を逃れ、昭和 39年に現在の堂宇になりました。


現、小林昭彦 ( しょうげん ) 住職は 32代目にあたり、この地に生まれ育ち小学校 2年生で得度をされたそうです。


由緒ある長命水が関東大震災前後から枯渇、井戸の石場が寂しく残る姿に地元向島の ( 株 ) 多久見建設の小澤 茂さんのご尽力で 18年 12月に新たに井戸枠等を建築寄進。


枯れた井戸水の復元は水質の問題等があり、断念されましたが、水道水を引き込み“長命水”として見事に復活。


地域の方々、ゆかりの方達と復興式を祝いました。


先代のご住職からの悲願であった井戸の復興が出来、檀家の一人としてお役に立て嬉しいと小澤さんも地域貢献が出来る喜びを話されています。


復興式のお茶会は長命水でお茶をたて、長命寺のさくらもち、こととい団子で美味しくいただいたそうです。
 









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