酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4658 柳川春三菩提寺(台東区西浅草1-2-16・願龍寺)

柳河春三は、天保三年(1832)二月二十五日名古屋に生まれ、神童の誉れ高く天才ぶりを発揮、さまざまな逸話を残している。


二十五歳で江戸にでた彼は、医を業とし、蘭学はもとより英・仏・和・漢など十一ヶ国語に精通し、著訳書も医学・薬学・理学を初め、書画・詩歌・戯作に至るまで多方面にわたり、四十余の別号を巧みに使った。


幕末維新における希世の知識人で、非凡の才能を駆使して外国文明の導入と普及とに努め、多大の業績を挙げた。


安政四年(1857)日本初の体系的西洋初等数学書「洋算用法」を著す。


彼自身の独創も加えた異色の書で現行の算数の始祖である。


また、慶應三年(1867)これも日本初の雑誌「西洋雑誌」を刊行、国語教科書の先駆「うひまなび」を編集、翌年「中外新聞」を創刊し、日本最初の新聞発行人として知られている。


法号は光摂院殿釈護念居士。


明治三年(1870)二月二十日、三十九歳で没。
当願龍寺に葬られる。


名古屋在住 中村祐猿識す
(案内板より)











4657 長瀧山 本法寺(台東区壽2-9-7・本法寺)

一 長瀧山 本法寺(日蓮宗)について
天正十九年(西暦1591)太田道灌の居城のあった江戸城紅葉山に初代日先上人が開山したのが発祥の地である。


その後北条氏が滅亡し徳川家康が新たに江戸城を築城するさいに紅葉山から外濠にあたる八丁堀に移った。


さらに明暦二年(西暦1657)江戸の振袖火事の大火で焼失し幕府が用達町人高原平兵衛に賜与した浅草の拝領町屋敷のあった現在の地に移った。


住居表示で現在は寿町二丁目となっているがその前の旧高原町という町名はその由来からとったものである。


一 熊谷稲荷の由来について
江戸中期の享保年間の頃雷門の浅草寺境内にあった熊谷稲荷を熊谷安左衛門の菩提寺である当本法寺に勧請した。


この熊谷稲荷は江戸時代から霊験あらたかな稲荷として信者も多く江戸誌に参詣頗る多しと書かれているように世に名高い稲荷である。


稲荷を祀った狐にもさまざまな種類がありそのなかでも人間に福徳をわかつ福狐(ふっこ)として白狐(びゃっこ)だけが稲荷大明神の御眷属にえらばれる資格があると云われている。


白狐は財物に恵まれることと人生の幸福を授かると語りつがれているが熊谷稲荷は白狐を祀った稲荷で江戸浅草の本法寺と東北の弘前の津軽藩公が祀った二箇所だけしかないきわめて珍しい稲荷で江戸時代から霊験あらたかなお守札をだしている稲荷として世に知られている。


一の守 伝教大師から伝授された身体加護・身にふりかかるすべての災難をとりのぞく熊谷稲荷の秘伝とされているお守である。


除火難・除盗難のお札 浅草寺誌にもあるとおり江戸時代から御利益のあるお札として世に名高い。


註 熊谷稲荷縁起の詳細な説明書については当寺にお申し出あればさしあげます。 


一 はなし塚について


境内に台東区教育委員会の文化財史蹟の掲示板があるのでお読みください。


一 その他


当本法寺境内には吉見稲荷、お伽丸柳一の碑、筆塚、山谷なかま塚、江川太郎左衛門の菩提所などがあるのでご自由に御高覧下さい。


本 法 寺
(案内板より)











4656 飛不動(台東区竜泉3-11-11・正宝院)

正宝院は、享禄三年(1530)の創建といわれる修験寺院で、はじめ聖護院末・園城寺末から現在天台宗の単立寺院となっている。


当寺の本尊は木造不動明王坐像で、「飛不動」の通称で知られている。


名の由来は、昔、当寺の住職が大和国(奈良県)大峰山に本像を持って修行に行ったところ、一夜にして当地へ飛び帰り、人々にご利益を授けたことによると伝えられている。


「飛不動」は本尊の通称だけでなく正宝院の通称ともなり、江戸時代前期、寛文年間(1661~73)の『新板江戸大絵図』には、すでに「飛不動」の名が見える。


福利増長・息災延命の祈願道場として庶民の信仰が厚く、『日本国華万葉記』や『江戸砂子』などに江戸の代表的な不動霊場の一つとして記されている。


近年は航空安全の守護神として有名になり、空の安全を祈願する参詣者が多い。
(案内板より)