酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5640 田中節三郎墓(台東区・谷中霊園)

田中節三郎 ( たなか - せつさぶろう )
慶応元年 ~ 明治 36年 11月 21日 ( 1865 - 1903 )


植物学者。


旧姓、後藤節三郎。越後国北蒲原郡出身。


明治 15年 ( 1882 ) 駒場農業学校普通農学科卒業。


明治 18年 ( 1885 ) 同校農業本科卒業。引き続き同校研究科にて 1年間農芸科学分析を学び、明治 19年 ( 1886 ) 同校助教授となる。


この間、明治 18年 ( 1885 ) 田中芳男の養子となり、その長女・奈津子 ( 昭和 5年 12月 16日没、59歳 ) を娶る。


農商務省に出仕し、農業試験場技手など 6年間勤務した後、明治 25年 ( 1892 ) 農科大学助教授。


明治 28年 ( 1895 ) 作物学講座を受け持つ。


これは、日本での作物学講座の始祖となった。


帝国博物館農品監理。渡米。内国勧業博覧会審査官。36歳没。


著書:「栽培各論」。











5639 佐崎霞村墓(台東区・谷中霊園)

佐崎霞村 ( さざき - かそん )
明治 11年 3月 22日 ~ 昭和 14年 1月 9日 ( 1878 - 1939 )


木彫家。


本名、佐崎宗二。


父、佐崎可村 ( 二男 )。東京出身。


はじめ京都の大仏師・内藤光石に入門。


24歳のとき上京し竹内久一に師事。


大正 11年 ( 1922 ) 帝展に初入選。


昭和 5年 ( 1930 )「執金剛神」が特選となり、無鑑査に推さる。


帝展には薄肉彫刻仏像「聖観」「不動」「寂光」等を出品。


昭和 11年 ( 1936 ) に比叡山阿弥陀堂本尊の木彫丈六如来像を制作。


昭和 13年 ( 1938 ) 浅草本願寺別院内陣蟇股彫刻を制作。62歳没。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6485.html

5638 佐崎可邨墓(台東区・谷中霊園)











5638 佐崎可邨墓(台東区・谷中霊園)

佐崎可邨 ( ささき - かそん ) / 佐崎可村 / 佐崎宗平     


? ~ 明治 18年 5月 26日 ( ? - 1885 )


築庭の巨匠。


名、宗平。号、可村。


甲府市の遊亀公園を設計 ( 県官の新海吉哉が工事監督 )。


二男に木彫家・佐崎霞村がいる。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6486.html

5639 佐崎霞村墓(台東区・谷中霊園)