酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

1272 松本長墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

松本長(まつもと ながし、1877年(明治10年)11月11日 - 1935年(昭和10年)11月29日)はシテ方宝生流能楽師静岡県出身。


松本金太郎の次男として生まれる。


長男は俳人松本たかし、次男は能楽師松本惠雄人間国宝)。泉鏡花の従兄に当たる。


関連項目

野口兼資

(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/369.html
355 泉鏡花墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2629.html

2383 松本金太郎墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)










にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ にほんブログ村

のバナーを「ポチッ」押して応援して頂くと管理人の励みになります。

1271 網野菊墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

網野 菊(あみの きく、1900年1月16日 - 1978年5月15日)は明治から昭和にかけての女流作家東京都生まれ。日本芸術院会員。


経歴

日本女子大学英文科を卒業したのち、母校で教師を務める。1922年から二年あまり早稲田大学露文科の聴講生となる。湯浅芳子と交流し、関東大震災後志賀直哉を奈良に訪れ生涯の師とし、1926年から二年間奈良に住んだ。1930年結婚して満洲奉天に渡り文筆から遠ざかるが、38年離婚し、1940年に『汽車の中で』で復活。私小説、随筆風の作品が多い。ロシアの児童文学、民話などの翻訳もある。


1962年「さくらの花」で芸術選奨文部大臣賞および女流文学賞。1968年「一期一会」で読売文学賞。同年、日本芸術院賞[1]、1969年芸術院会員。

1978年5月15日、腎不全のため78歳で死去。墓所は青山霊園


著作

秋 国文堂書店 1921

光子 新潮社 1926

汽車の中で 春陽堂 1940

妻たち 東晃社 1943

雪の山 昭南書房 1943

海辺 三島書房 1947

街の子供 東京出版 1947

花束 雄鶏社 1948

幸福ということ 竜南書房 1958

さくらの花 新潮社 1961

冬の花 三月書房 1962

ゆれる葦 講談社 1964

一期一会 講談社 1967

白文鳥 土筆社 1967

網野菊全集 全3巻 講談社 1969

遠山の雪 皆美社 1971

心の歳月 新潮社 1972

雪晴れ 志賀直哉先生の思い出 皆美社 1973

陽のさす部屋 講談社 1975

時々の花 木耳社 1978

一期一会・さくらの花 講談社文芸文庫 1993

ゆれる葦 講談社文芸文庫 1994

 ・網野菊・芝木好子・中里恒子 女性作家シリーズ 角川書店 1999


翻訳

シャーロット・ブロンテエリザベス・クレグホーン・ギャスケル 実業之日本社 1942

・ロシヤ小説選 筑摩書房 1950

・夢を追う子 ハドソン 岩波書店・少年文庫 1951

・小ネズミのピーク ヴィタリー・ビアンキ 岩波書店・少年文庫 1954

・火の鳥 ロシアのみんわ集 筑摩書房 1955

・せむしの小馬 ピョートル・パーヴロウィチ・エルショーフ 岩波書店・少年文庫 1957

・十二月物語 サムエル・マルシャーク 講談社 1962


脚注

1. 『朝日新聞』1968年4月9日(東京本社発行)朝刊、14頁。

(wikiより)


関連情報

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1461.html
1347 志賀直哉墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1839.html
1688 芝木好子墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


 網野菊










にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ にほんブログ村

のバナーを「ポチッ」押して応援して頂くと管理人の励みになります。

1270 額田晋墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園)

東邦高校の創設者
森鴎外の臨終において主治医となったという事実です。


国語便覧では、鴎外の死因を腎萎縮としてあるものがありますが、直接の死因は肺結核でした。その事実は長らく公表されませんでした。


この事実については、森鴎外の長男・森於菟の『父親としての森鴎外』( 昭和 44年 ) に書かれています。


私にこれを語ったのは父の死床における主治医・額田晋博士である。


私が終戦による台湾からの帰国後勤務した東邦大学の医学部長―現在は学長―であった同君は、父の終世の親友で遺書を托した故賀古鶴所翁の愛姪を夫人とする人である。


賀古さんは重態に陥りながら誰にも見せない父を説き落した結果、それなら額田にだけ見せようとその診察を受けることを父が承知したただ一人の医師が額田君で、私と独協中学からの同窓、東大を出て十年に満たない少壮の内科医、賀吉氏と同じく父の親友青山風通博士門下の俊秀であった。(中略)

私が東邦大学の教授となった年、夏休暇前と思うが「いつか君にいって置こうと思っていたのだが」と前置きして額田君は話し出した。


「鴎外さんはすべての医師に自分の身体も体液も見せなかった。ぼくにだけ許したので、その尿には相当に進んだ萎縮腎の徴候が歴然とあったが、それよりも驚いたのは喀痰 ( かくたん )で、顕微鏡で調べると結核菌が一ぱい、まるでその純培養を見るようであった。


鴎外さんはそのとき、これで君に皆わかったと思うがこのことだけは人に言ってくれるな、子供もまだ小さいからと頼まれた。


それで二つある病気の中で腎臓の方を主にして診断書を書いたので、真実を知ったのはぼくと賀古翁、それに鴎外さんの妹婿・小金井良精博士だけと思う。


もっとも奥さんに平常のことをきいたとき、よほど前から痰を吐いた紙を集めて、鴎外さんが自分で庭の隅へ行って焼いていたと言われたから、奥さんは察していられたかも知れない。」(「鴎外の健康と死」)


● 額田晉

額田 晋(ぬかだ すすむ、1886年明治19年12月22日 - 1964年昭和39年9月29日)は、日本の医師医学者内科学)、医学博士理学博士東邦大学および額田医学生物学研究所の創立者。


生涯

1886年(明治19年)、岡山県邑久郡に医師の次男として生まれた。旧制一高を経て東京帝国大学医科大学に進学した[1]。1917年(大正6年)から翌年にかけ、アメリカのハーバード大学に自費留学し、医学博士を取得し帝国大学附属病院の講師を務めた[2]。中国の北京協和医学校に赴任後、帰国した額田は1925年大正14年)に兄の額田豊と共に帝国女子医学専門学校(東邦大学の前身)を創設した。1926年(大正15年)には理学博士も取得し、神田に額田内科病院、千葉県稲毛額田医学生物学研究所を設立した[1]。1964年(昭和39年)77歳で死去。


戦後に大学名を改める際、東邦大学の名称を提案したのは額田であった[1]

妻は森鴎外の親友である賀古鶴所の姪。その縁もあり、結核を隠すために医師の診察を一切拒んでいた晩年の鴎外の診察を唯一行なった[3]


略歴

1886年12月22日 - 岡山県で誕生

1912年 - 東京帝国大学医科大学卒業

1917年 - 米国ハーバード大学留学

1919年 - 医学博士号取得、順天堂医院研究所長

1923年 - 東京帝国大学医学部講師、北京協和学校招請

1925年 - 帝国女子医学専門学校長

1926年 - 理学博士号取得

1930年 - 帝国女子医学薬学専門学校長

1939年 - 額田医学生物学研究所創立

1941年 - 帝国女子理学専門学校長

1947年 - 東邦医科大学学長

1952年 - 東邦大学医学部長・病院長

1957年 - 東邦大学理事長、学長

1961年 - 世界観研究会創立

1964年9月29日 - 千葉県にて死去


詳しい事は『額田晉ウィキペディア』を御覧下さいませ。 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%8D%E7%94%B0%E6%99%89

(wikiより)










にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ にほんブログ村

のバナーを「ポチッ」押して応援して頂くと管理人の励みになります。