酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

823 島村省吾招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)

島村省吾 (しまむら しょうご)
1845 - 1864 ( 弘化 2 - 元治元 )


土佐藩士。名は正文。


土佐国安芸郡羽根村出身。


はやくから江戸、京都、大坂などを遊歴して文武の修業をし、特に砲術にすぐれていた。


安政 6年 ( 1859 ) ごろから国を脱け、本格的に尊攘運動に参加しはじめた。


土佐藩の藩論が一時武市瑞山ら尊攘派に握られるようになると、藩邸の吏に挙げられて、しばしば諸藩に密使として奔走する。


文久 3年 ( 1863 ) 8月、中山忠光を盟主として天誅組が大和に挙兵、省吾も同藩出身の吉村寅太郎らとともに参戦、本隊にあって鎗一番伍長をつとめ、9月 9日下市の彦根藩本陣を夜襲した。


25日は鷲家口に吉村虎太郎と最後の別れをし、峠の民家清三郎にたのんでその納屋で一泊した。


傷の治療をしたことを紀藩本陣に密告され、翌 25日新田で紀州の藩兵に捕えられた。


辻四郎三郎のもとに一週間つながれた。


この間泰然自若として過去を思い出し筆をとり、三条碩の晒首のさまを書き絵にして残した。


この晒首の絵は法隆寺の北畠家に所蔵しているという。


その他の筆跡は紀州藩兵が持ち去った。


後京都六角獄に投獄。


元治元年 ( 1864 ) 2月享年 21歳。。現在のような満年齢だと 19才である。


天誅組烈士中土佐藩士では最若年である。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/355.html
345 十津川郷士墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/866.html
797 吉村虎太郎・天誅組墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/890.html
818 天誅組墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)










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