822 前田繁馬招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)
前田繁馬 (まえだ しげま)
1838 - 1863 ( 天保 9 - 文久 3 )
土佐の志士。名は正種、高岡郡檮原村松原 ( 高知県 ) の庄屋。
はじめ土佐藩士・下元善平についで書を学び、のち前田恒五郎に従って浅山流の武技を修め、また公文藤蔵についで長沼流の兵学を究めた。
安政 6年 ( 1859 ) 過失によって庄屋の職を追われていたので、文久 3年 ( 1863 ) 2月、親戚の前田要蔵が藩務で京都守衛のため上京するとき、奴僕となって京都に出て、宿願の尊攘の士と交わった。
天誅組挙兵後、9月 7日彦根藩兵が大和下市に駐屯するところを同志とともに襲い、兵糧その他を奪って翌日駄馬 11頭に積んて本営に帰陣、その任務を立派に果した。
北山郷から伯母ケ峯を越えて川上村にでて、武木の大西のうちで休み鷲家口の鷲家に出た。
ここで紀州、藤堂、彦根の大軍と戦い囲みを破り、関為之助とともに初瀬町に出た。26日のことである。
繁馬が、ここの樫木屋で休んで朝食をとっていると、津藩士の町井八郎が部下十余人を引き連れてやってきた。
そうして戸の外から小銃を乱射した。繁馬は大刀を振りかざして敵の中におどり出たが、もはや身に数弾をうけて万事休すである。享年 29歳。
関為之助もまた同所で恨を呑んだ。
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前田繁馬
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