酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

822 前田繁馬招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)

前田繁馬 (まえだ しげま)
1838 - 1863 ( 天保 9 - 文久 3 )


土佐の志士。名は正種、高岡郡檮原村松原 ( 高知県 ) の庄屋。


はじめ土佐藩士・下元善平についで書を学び、のち前田恒五郎に従って浅山流の武技を修め、また公文藤蔵についで長沼流の兵学を究めた。


安政 6年 ( 1859 ) 過失によって庄屋の職を追われていたので、文久 3年 ( 1863 ) 2月、親戚の前田要蔵が藩務で京都守衛のため上京するとき、奴僕となって京都に出て、宿願の尊攘の士と交わった。


天誅組挙兵後、9月 7日彦根藩兵が大和下市に駐屯するところを同志とともに襲い、兵糧その他を奪って翌日駄馬 11頭に積んて本営に帰陣、その任務を立派に果した。 


北山郷から伯母ケ峯を越えて川上村にでて、武木の大西のうちで休み鷲家口の鷲家に出た。


ここで紀州、藤堂、彦根の大軍と戦い囲みを破り、関為之助とともに初瀬町に出た。26日のことである。


繁馬が、ここの樫木屋で休んで朝食をとっていると、津藩士の町井八郎が部下十余人を引き連れてやってきた。


そうして戸の外から小銃を乱射した。繁馬は大刀を振りかざして敵の中におどり出たが、もはや身に数弾をうけて万事休すである。享年 29歳。


関為之助もまた同所で恨を呑んだ。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/355.html
345 十津川郷士墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/866.html
797 吉村虎太郎・天誅組墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/890.html
818 天誅組墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


 前田繁馬









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