酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

821 沢村幸吉招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)

沢村幸吉 さわむら こうきち
1845 - 1864 ( 弘化 2 - 元治元 )


土佐出身。姓は源、名は行敏。


土佐国長岡郡大津村の町人辰吾の子として生まれ、土佐郡潮江村上町に住んでいた。


文久 3年 ( 1863 ) 藩命によって京都に上り、禁裡警衛の任にあったが、同年 8月、天誅組の大和五條挙兵に応じ、緒戦では五條の代官・鈴木源内を屠り、下市駅では彦根の兵営を夜襲して大勝を得るなど寡兵よく、神出鬼没の作戦で功を奏した。


しかし京都の政変や十津川郷兵の離叛となり遂に敗戦となり、幕軍の重囲におちた。


沢村らは 9月 24日鷲家口の最後の激戦でよく血路を開いて脱出した。が式上郡芝村の間道に出た時芝村の藩兵に捕えられた。のち京都に送られて投獄。


翌元治元年 ( 1864 ) 2月同志 19名とともに斬られた。享年 22歳。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/355.html
345 十津川郷士墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/866.html
797 吉村虎太郎・天誅組墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/890.html
818 天誅組墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)










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