酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

818 天誅組墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)

石碑に刻されている御名前
・  安積五郎 ( 江戸 ) 
・  岡見留次郎 ( 水戸 ) 
・  渋谷伊予作 ( 下館 ) 
・  尾崎太郎 ( 因幡 ) 
・  尾崎鋳五郎 ( 嶋原 ) 
・  岡見銕蔵 ( 十津川 ) 
・  尾仲要蔵 ( 十津川 )
・  林兵次郎 ( 十津川 )
・  關爲之進 ( 十津川 ) 
・  和田左市 ( 十津川 ) 
・  深瀬繁理 ( 十津川 ) 
・  勝 ( 泰 ) 将蔵 ( 十津川 ) 
・  山本実之助 ( 高野山 ) 
・  古東領左衛門 ( 淡路 ) 
・  乾十郎 ( 摂津 ) 
・  巌瑶房 ( 彦山 ) 
・  教観坊 ( 彦山 ) 
・  水郡善之祐 ( 河内 ) 
・  長野一郎 ( 河内 ) 
・  保母建 ( 嶋原 ) 
・  船田彦次郎 ( 嶋原 ) 
・  辻郁之助 ( 十津川 ) 
・  田中樟之助 ( 十津川 ) 
・  森本伝兵衛 ( 十津川 ) 
・  橋本若猍 ( 十津川 ) 
・  伊澤宣庵 ( 五條 ) 
・  横田友次郎 ( 因幡 ) 
・  大村辰之助 ( 長門 ) 
・  伊藤龍太郎 ( 丹波 ) 
・  黒田与一 ( 但馬 ) 
・  三牧謙助 ( 尾張 ) 
・  木村愛之助 ( 丹波 ) 
・  鶴 松 ( 紀伊 ) 
・  常 助 ( 紀伊 ) 
・  元次郎 ( 五條 ) 
・  忠右衛門 ( 大和 )  
・  朝 七 ( 攝津 )


● 天誅組
天誅組(てんちゅうぐみ)は、幕末公卿中山忠光を主将に志士達で構成された尊皇攘夷派の武装集団。大和国で挙兵するが、幕府軍の追討を受けて壊滅した(天誅組の変)。天忠組とも。


概要
文久3年(1863年)8月13日、孝明天皇神武天皇参拝、攘夷親征の詔勅が発せられる(大和行幸)。土佐脱藩浪士吉村寅太郎ら攘夷派浪士は大和行幸の先鋒となるべく、攘夷派公卿の前侍従中山忠光を主将に迎えてを出発した。これに従軍した半田門吉の『大和日記』によると結成時の同志は38人で、そのうち18人が土佐脱藩浪士、8人が久留米脱藩浪士であった。このほか淡路島の勤皇家で大地主であった古東領左衛門は先祖代々の全財産を処分し、天誅組の軍資金として供出した。彼らがいつの時点で天誅組を称したかは詳らかではない。


8月17日、幕府天領の大和国五条代官所を襲撃。代官鈴木源内の首を刎ね、代官所に火を放って挙兵した[1]桜井寺に本陣を置き五条を天朝直轄地とする旨を宣言し、「御政府」あるいは「総裁所」を称した。五条御政府と呼ばれる。


挙兵の直後の8月18日、八月十八日の政変が起こり、大和行幸は中止となり京の攘夷派は失脚してしまう。挙兵の大義名分を失った天誅組は「暴徒」とされ追討を受ける身となった。天誅組は天の辻の要害に本陣を移し、御政府の名で武器兵糧を徴発し、吉村寅太郎は五条の医師乾十郎とともに十津川郷(奈良県吉野郡十津川村)に入り、反乱に加入を説得。その結果、野崎主計十津川郷士960人を募兵して兵力は膨れ上がったが、烏合の衆に過ぎずその武装は貧弱なものだった。十津川の人々も半ば脅迫されて急きょかき集められた。しかも休息も食事もなく戦闘に参加せられるなど、戦意に乏しかった。


あまりの酷さに玉堀為之進植田主殿ら十津川郷士は指揮官に抗議したが、中山らに憎まれ天辻峠で斬首されている。


天誅組は高取城を攻撃するが、少数の高取藩兵の銃砲撃を受けて混乱して敗走。この時点で三河刈谷藩から参加していた伊藤三弥のように早々に脱走するものもあった(後に伊藤は松本奎堂の密書を岩倉具視に届けたと弁明しているが、岩倉具視と松本奎堂の関係を考えればあり得ないことである。伊藤三弥と同郷の碩学森銑三は「脱走した三弥の言い訳に過ぎない」と断じている)。この伊藤三弥の脱走は天誅組の脆弱さを示す例としてしばしば引用される。


幕府は諸藩に命じて大軍を動員をして天誅組討伐を開始する。天誅組は激しく抵抗するが、主将の中山忠光の指揮能力が乏しいこともあり敗退を繰り返し、しだいに追い詰められる。朝廷から天誅組を逆賊とする令旨が京都在住の十津川郷士前田雅楽に下され、急遽現地に赴いた前田は十津川郷士を説得。ここに主力の十津川勢が9月15日に離反。郷士代表の野崎は責を負い自害する。9月19日、忠光は天誅組の解散を命じる。残党は伊勢方面へ脱出を図るが、鷲家口(奈良県東吉野村)で幕府軍に捕捉され壊滅した。


志士たちの霊は京都霊山護国神社に祀られている。


編成
五条代官所襲撃後の8月18日に桜井寺で職制と軍制を定めている。
・主将 :中山忠光
・総裁 :藤本鉄石吉村寅太郎松本奎堂
・御用人:池内蔵太
・監察 :吉田重蔵那須信吾酒井伝次郎
・銀奉行:磯崎寛
・砲隊伍長:安岡直行
・参謀兼記録方:伴林光平
小荷駄奉行水郡善之祐


槍隊、鉄砲隊が編成された。総勢は1000人余。脱藩浪士が指揮し、兵士の主体は十津川郷士であった。


浪士は土佐藩、久留米藩出身者が中心だった。身分は郷士庄屋神官僧侶。年齢は13歳から46歳までいて、20歳代の若者が多い。主将の中山忠光は19歳だった。


装備は狭山藩など、河内地方の各藩から徴発したゲベール銃(蘭:Geweer、小銃)、弓矢などで極めて貧弱だったと思われる。また、松の木で木製の大砲を十数門製作するが発火せず全く役に立たなかった。


脚注
1. 海音寺潮五郎司馬太郎は対談でこの行動に触れ、海音寺「天忠組の行動は今の全学連みたいなもので、なんでもかんでも反省しろ反省しろというんだから」、司馬「幕末維新の諸事件の中で、天忠組がいちばんおろかしい感じがする」と評している。海音寺・司馬 『新装版 日本歴史を点検する』 講談社文庫 ISBN 978-4062759168、35p


詳しい事は『天誅組ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E8%AA%85%E7%B5%84
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/355.html
345 十津川郷士墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/866.html
797 吉村虎太郎・天誅組墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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819 宍戸弥四郎墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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820 松本奎堂墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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821 沢村幸吉招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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822 前田繁馬招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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823 島村省吾招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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824 那須信吾墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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828 池内蔵太墓招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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829 安岡嘉助招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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830 伴林光平招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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831 楠目清馬墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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832 森下幾馬墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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833 土居佐之助招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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834 森下儀之助招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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835 鍋島米之助招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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836 田所騰次郎招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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837 安岡斧太郎招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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838 島浪間招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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839 中垣健太郎墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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840 江頭種八招魂碑(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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841 酒井伝次郎墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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842 鶴田陶司墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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843 荒巻羊三郎墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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958 島 浪間義親供養墓(高知市長浜660周辺)


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1647 半田紋吉墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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2162 福浦元吉墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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2192 幾助墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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3474 三枝蓊墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


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3934 文右衛門墓(京都市左京区黒谷町121・黒谷金戒光明寺会津藩墓地)


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4599 河上弥市墓(萩市北古萩町・長寿寺)