酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

825 河東碧梧桐墓(愛媛県松山市朝日ヶ丘1-1424・宝塔寺)

河東碧梧桐(かわひがし へきごとう、1873年明治6年)2月26日 - 1937年昭和12年)2月1日)は、日本俳人随筆家。本名は秉五郎(へいごろう)。


経歴
愛媛県温泉郡千船町(現・松山市千舟町)にて松山藩士で藩校・明教館の教授であった河東坤(号・静渓)の五男として生まれる。少年の頃は正岡子規の友人で後に海軍中将となる秋山真之を「淳さん」と敬愛していた。


1888年(明治21年)、伊予尋常中学(現在の愛媛県立松山東高校)に入学。


1889年(明治22年)、帰郷した子規に野球を教わったことがきっかけで、同級生の高濱清(後の高浜虚子)を誘い子規より俳句を学ぶ。


1893年(明治26年)、京都第三高等学校入学。第二高等学校(現在の東北大学)に編入の後、中退。


1902年(明治35年)に子規が没すると、新聞『日本』俳句欄の選者を子規より受け継ぐ。


1905年(明治38年)頃より従来の五七五調の形にとらわれない新傾向俳句に走り始め、1906年(明治39年)より1911年(明治44年)にかけて新傾向俳句の宣伝のため二度の全国俳句行脚を行う。


1933年(昭和8年)3月25日還暦祝賀会の席上で俳壇からの引退を表明した。


1937年(昭和12年)1月、腸チフスを患い、更に敗血症を併発し、2月1日に65歳にて永眠。墓所は父母が眠る松山市の宝塔寺及び東京都台東区の梅林寺に分骨されている。


作家論
碧梧桐と虚子は「子規門下の双璧」と謳われ、青年期には厚い友誼を結んでいたが、芸術面では守旧派として伝統的な五七五調を擁護する虚子と激しく対立していた。新傾向俳句から更に進んだ定型や季題にとらわれず生活感情を自由に詠い込む自由律俳句誌『層雲』を主宰する荻原井泉水と行動を共にした。しかし、1915年大正4年)には井泉水と意見を異にし、層雲を去っている。碧梧桐はその年の3月、俳誌『海紅』を主宰。更にこれも中塚一碧楼に譲る。昭和初期に風間直得漢語にフリガナ(ルビ)を振るルビ俳句を試作、これに賛同した碧梧桐もこれを作るようになるが、これは支持を得られなかった。


引退については俳句創作への情熱の衰えと、虚子への抗議の意味が込められていたようである。


子規は、碧梧桐と虚子について、「虚子は熱き事火の如し、碧梧桐は冷やかなる事氷の如し」と評した。


碧門の人々
寺野守水楼 1836
菅原師竹 1863
筏井竹の門 1871
牛島藤六 1872
戸沢百花羞 1873
大谷句仏 1875
川西和露 1875
塩谷鵜平 1877
喜谷六花 1877
広江八重桜 1878
戸沢撲天鵬 1879
小沢碧童 1881
大須賀乙字 1881
細谷不句 1882
松宮寒骨 1883
荻原井泉水 1884
安斎桜磈子 1886
宮林菫哉 1887
江口渙 1887
中塚一碧楼 1887
中塚響也 1888
兼崎地橙孫 1890
久米正雄 1891
和田久太郎 1893
滝井孝作 1894
黒田忠次郎 1893
平沢英一郎 1889
風間直得 1897
数字は生年


詳しい事は『河東碧梧桐ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E6%9D%B1%E7%A2%A7%E6%A2%A7%E6%A1%90
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/424.html
410 正岡子規墓(北区田端4-18-4・大龍寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/886.html
826 河東碧梧桐墓(台東区三ノ輪1-27-3・梅林寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/914.html
855 秋山真之墓(鎌倉市十二所512・鎌倉霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1042.html
962 河東 碧梧桐句碑(松山市役所前堀端)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1189.html
1097 河東静渓住居跡(松山市三番町4-1)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1332.html
1232 大須賀乙字墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3447.html
3210 高浜虚子句碑(高知市浦戸・桂浜公園内)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3862.html
3584 河東静渓墓(愛媛県松山市朝日ヶ丘1-1424・宝塔寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/4209.html

3854 乙字句碑(豊島区雑司が谷3-19-14・本納寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/4828.html
4391 河東碧梧桐句碑(広島県尾道市・千光寺公園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6896.html

5947 高浜虚子墓(鎌倉市扇ヶ谷1-17-7・寿福寺)


 

 河東碧梧桐


 河東家の墓地です。


⇧⇩ 河東碧梧桐墓