酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

811 子規誕生地跡(松山市花園町)

この物語の主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、ともかくもわれわれは三人の人物のあとを追わねばならない。


そのうちひとりは、俳人になった。


俳句、短歌といった日本のふるい短詩型に新風を入れてその中興の祖になった正岡子規である。


司馬遼太郎著『坂の上の雲』( 文芸春秋 ) 単行本: 1巻より


近代文学史上大きな足跡を残した正岡子規は、慶応 3 ( 1867 ) 年 9月 17日、この地に生まれ、東京根岸で 35年の生涯を閉じた。


子規の本名は常規 ( つねのり ) であるが、近親者は生涯を通じて「のぼさん」と呼んだ。


生家は、東西の道路の南側にオロ垣 ( 竹の枯れ枝 ) を結い、垣の内にサンゴ樹の並んだ家であったという。
(案内板より)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/424.html
410 正岡子規墓(北区田端4-18-4・大龍寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/650.html
612 正岡子規句碑(浅草寺・新奥山)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1099.html
1015 子規母堂令妹住居跡(松山市湊町4)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1763.html
1618 子規旧邸址(松山市湊町3)










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