酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6979 池島信平墓(鎌倉市山ノ内409・円覚寺塔頭松嶺院)

池島 信平(いけじま しんぺい、1909年12月22日[1] - 1973年2月13日[1])は日本の編集者、文藝春秋社長(第3代)。


経歴
東京市本郷区春木町生まれ[2]。生家は牛乳の配達を営んでいた。東京府立第五中学校(四修)から旧制新潟高等学校を経て、1933年東京帝国大学文学部西洋史学科卒業[1]。
新潟高校時代の1929年、第6回全国高等学校ア式蹴球大会にフォワードとして出場した。


1933年、文藝春秋社に第1期社員として入社[1]。「文藝春秋」編集部に入ることを望んでいたが創刊まもない小雑誌「話」の編集部に配属され、雑誌記者として活動。


1944年、「文藝春秋」編集長に就任[1]。まもなく召集されて横須賀海兵団に入隊。終戦は青森で迎えた。


1946年、菊池寛の意向により文藝春秋社が解散したため菊池から社名と誌名を貰い受け、専務の佐々木茂索を社長に担ぎ出して11名の社員で文藝春秋新社を創立。


1966年3月、文藝春秋に改名。同年、第3代社長に就任。「諸君!」を1969年7月号より創刊した。1973年2月、在職中に急死。死の直前まで文筆活動を行っていた。


また、十返肇と二人で「文人海軍の会」を創設。源氏鶏太、阿川弘之、豊田穣などが会員だった。その関連もあって『別冊 文藝春秋』などで戦記特集を多く出した。


文献
伝記は、塩澤實信 『雑誌記者池島信平』(文藝春秋、のち文春文庫、跋文は司馬遼太郎)。新版改題され『文藝春秋編集長 菊池寛の心を生きた池島信平』(展望社、2005年)。


ほかに、『話』時代の記事を集めた『昭和十二年の週刊文春』(文春新書、2007年、名義は「菊池信平」)がある。


著書
・編集者の発言 暮しの手帖社、1955年
・ジャーナリズムの窓から 修道社、1956年
・雑誌記者 中央公論社、1958年/中公文庫、1979年、改版2005年
・歴史好き 三月書房、1971年/中公文庫、1983年
・池島信平文集 文藝春秋、1973年


編著・共著
・風流おかめ八目 扇谷正造共著・対談集 修道社、1955年
・縦横おかめ八目 扇谷正造共著・対談集、修道社、1956年
・文壇よもやま話 嶋中鵬二と聞き手:NHK編(上下) 青蛙房、1961年/中公文庫、2010年10-11月  
・歴史よもやま話 日本篇(上下、編) 文藝春秋、1966年/文春文庫、1982年
・歴史よもやま話 西洋篇 (編) 文藝春秋、1966年/文春文庫、1982年
・歴史よもやま話 東洋篇 (編) 文藝春秋、1966年/文春文庫、1982年
・文学よもやま話 対談集(上下) 文藝春秋、1974年/恒文社、1995年12月


脚注
1. a b c d e 『池島信平』 - コトバンク
2. 『池島 信平』 - コトバンク
(wikiより)