酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6978 清水 崑墓(鎌倉市山ノ内409・円覚寺塔頭松嶺院)

清水 崑(しみず こん、本名:清水 幸雄、1912年9月22日 - 1974年3月27日)は昭和の漫画家。長崎県長崎市出身。妻は歌人の清水恒子、その姉は俳人の石橋秀野(山本健吉夫人)。


人物
旧制長崎市立商業高校(現在の長崎市立長崎商業高等学校)を卒業後上京、似顔絵描きをしながら絵の修行をする。その後横山隆一・近藤日出造らの新漫画派集団に参加、1935年『新青年』に「東京千一夜物語」を連載。これがヒットし後で内田吐夢監督によって映画化された。


戦後「新夕刊」の政治漫画を担当後、朝日新聞社嘱託。時の吉田茂首相の風刺画で人気を博し、サンフランシスコ講和会議には全権団の取材に派遣され、連日文章つきで漫画の見聞録を送る。また日本ニュースでは「漫画の頁」という風刺コーナーを与えられ、執筆風景も含めてニュース映画に題材を提供した。


1953年からは週刊朝日で「かっぱ天国」を連載、黄桜酒造(2006年10月から黄桜に社名変更)社長・松本司郎の目に留まり1955年から同社のキャラクターとして採用された(後に小島功に引き継がれた。黄桜のホームページにて当時のCMを見ることが可能)。


また同年にはカルビーの「かっぱあられ」に代表される菓子広告も手がけるようになり、現在でも往時の名称は「かっぱえびせん」に名残をとどめている。1953年3月はじめに、小説家の火野葦平の『河童』の装丁を描くことになり、出版社の編集者と一緒に打ち合わせのために訪問し、その場で二人は意気投合したという[1]。1974年、肋膜炎のため61歳で没した。


母校長崎市立銭座小学校に「なかよし」と称したかっぱの壁画がある。


林家木久扇は弟子の一人で、清水が「面白い喋りをしている」という理由から3代目桂三木助に紹介した(その後三木助が亡くなり、8代目林家正蔵門下となった)。上述のように、河童の漫画で一世を風靡しているが、林家木久扇のネタのひとつ「河童」がこれに関係しているかは定かではない(ただし、「笑点」の2011年の長崎県での地方収録の際、大喜利の挨拶の中で、「清水崑先生を偲んで」と銘打ち、河童ネタを披露している)。また、木久扇が真打昇進した際には、その祝いとして、河童の絵を描いて贈った。


映画監督の市川崑は清水の大ファンで、旧名の「儀一」から「崑」に改名したのも清水の影響だと言われている。


作品
・『筆をかついで』 創元社、1951年
・『かっぱ川太郎』 朝日新聞社、1952年
・『かっぱ天国』 東峰書房、1955年
・『かっぱ天国 愛蔵版漫画集』 清水梢太郎編、らくだ出版 1993年
・『一筆対面』 東峰書房、1957年
・『ぼんやり山のぼんたろう』 学習研究社、1972年


イラスト
・『河童曼陀羅』 火野葦平著、1957年
・『かにむかし』 木下順二著、1959年
・『ふしぎなたいこ』 石井桃子著、1975年
・『吉田茂諷刺漫画集』 吉田茂記念事業財団編
原書房、1989年→吉田茂国際基金(中央公論新社販売)、2005年


脚注
1. もりたなるお『芸術と戦争』産経新聞出版9ページ


関連項目
・キザクラカッパカントリー - 黄桜記念館で黄桜CMの原画を展示



外部リンク
・清水崑展示館(長崎市・中の茶屋)
・長崎県の河童伝説
・日本ニュース|NHK戦争証言アーカイブス(執筆中の清水含め、担当したコーナーを視聴できる)
(wikiより)


 清水 崑