酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

77 吉田沢右衛門兼定墓

吉田 沢右衛門兼定  ( よしだ さわえもんかねさだ )



吉田沢右衛門は、忠左衛門の嫡子で、父子討ち入り組の一人。


 浅野内匠頭の刃傷事件が起こったときは、まだ家督相続をしていないから、部屋住み。


赤穂開城後は、父忠左衛門とともに播州三木に移った。


 父が大石内蔵助に呼ばれて、江戸急進派の説得のために東下したのちも、 三木のいた浪宅にあってひたすら時節がくるのを待っていた。


 元禄15年7月28日の一挙断行を決定した円山会議ののち、沢右衛門は間瀬孫九郎、 不破数右衛門とともに8月下旬に京都を旅立った。


9月2日に江戸に到着し、以来、新麹町6丁目の父の仮寓に同居、 田口左平太と変名して、吉良方の偵察と同志の間の連絡にあたった。


刃当掛剣信士。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/15.html
12 大石良雄外十六人忠烈の跡(港区高輪1・高輪1丁目アパート)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/28.html
25 赤穂浪士ゆかりの寺(台東区谷中5-8・観音寺)


 

 吉田沢右衛門兼定









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