酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6974 長谷川馬光墓(墨田区駒形3-15・桃青寺)

長谷川馬光 ( はせがわ - ばこう ) は、江戸時代中期の俳人です。


貞享四年 ( 1678 ) に生まれ、始めは藤原直行と称しました。


父は、本所に屋敷があった津軽弘前藩の藩医でした。


幼名を孫太郎といい、のちに親戚筋に当たる御家人・長谷川直隆の養子になりましたが、元禄七年 ( 1694 )、八歳にして直隆の跡を継ぎ、享保十一年 ( 1726 ) には西丸小十人 ( 御当番 ) に列しました。


馬光は、俳諧を蕉門十哲 ( しょうもんじゅってつ ) の一人、其日庵・山口素堂 ( やまぐち - そどう ) に学び、のちに其日庵二世を襲名しました。


享保十年 ( 1725 ) に中川宗瑞 ( なかがわ - そうすい )、松本珪林 ( まつもと - けいりん )、大場蓼和 ( おおば - りょうわ )、佐久間柳居 ( さくま - りょうきょ ) とともに「五色墨 ( ごしきずみ )」の運動を起こし、六年後には冊子刊行され、俳壇が蕉風復古に大きく傾斜していく契機を作ったと評価されています。


寛保三年 ( 1743 ) 頃には、寺内に芭蕉堂を作り、松尾芭蕉・山口素堂の像を安置しました。残念ながら、芭蕉堂は現存しません。


著書には「湯山紀行 ( ゆやまきこう )」、「藪鶯 ( やぶうぐいす )」、「かさね笠」などがあります。


馬光の門下として、「説叢大全 ( せっそんたいぜん )」を著した溝口素丸 ( みぞぐち - そがん ) 等が出ています。


宝暦元年 ( 1751 )、「振かへる谷の戸もなし郭公」の一句を最期に六十五歳で没しました。


桃青寺は、松尾芭蕉わらじ脱ぎの伝説が残されています。


また、山号は芭蕉山、寺号が芭蕉の俳号のひとつである桃青を称する点からも、松尾芭蕉ゆかりの寺であったことを偲ばせます。
(案内板より)